アートとテクノロジーの変遷、その「越境」のゆくえ|CFD010:廣田ふみ(プロデューサー/株式会社イッカク代表取締役)
東京大学とソニーグループが共同で運営するCreative Futurists Initiative(以下CFI、越境的未来共創社会連携講座)は、異なる領域を越えて未来の共創をリードする方々を迎える対話の場「Creative Futurists Dialogues」シリーズ(以下CFD)を展開しています。第10回目のゲストは、プロデューサーで株式会社イッカク代表取締役の廣田ふみさんです。
廣田さんは、山口情報芸術センター[YCAM]や文化庁、国際交流基金、東京都の歴史文化財団などでメディアアートの事業策定に携わってこられました。今回は、独立した立場からメディアアートの時代的な変遷や、自身が経験してきた「越境」をキーワードとした活動についてお話しいただきました。
(※) 記事中の所属・役職等は取材当時のもの
TEXT: Madoka Minamisawa
PHOTOGRAPH: Yasuaki Kakehi Laboratory
PRODUCTION: VOLOCITEE Inc.
アート&テクノロジー領域の文化政策の変遷
筧康明(以下、筧):廣田さんは、日本のメディアアート──あるいは「メディア芸術」と呼ばれる領域において、その振興に最前線で携わってこられた、この分野を考える上で欠かせない方です。メディアアートの枠組みをさらに広げ、乗り越えていくような先進的な活動を推進されてきました。私自身もワークショップなどでご一緒する機会がありましたが、その越境的な視点にはいつも刺激を受けています。最近では、シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]を立ち上げられ、メディアアートの「これから」を市民社会の視点から問い直されています。今日は、アートとテクノロジーの時代的変遷から未来への展望まで、廣田さんの豊かなバックグラウンドを基盤に、皆さんと深い対話を広げていければと思っています。
廣田ふみ(以下、廣田):私はこれまで、大学や自治体、あるいは国や市という「制度」の側からメディアアートの振興に携わってきました。2022年には渋谷にCCBTを立ち上げ、現在は独立して活動しています。CCBTでは、メディアアーティストの岩井俊雄さんとともに展覧会を作り上げるなどの試みを行いました。そこで掲げた「シビック・クリエイティブ」という言葉には、メディアアートそのものの振興以上に、テクノロジーを用いた創造性をいかに市民社会に広げていくか、という強い問題意識を込めています。
今日は独立した立場として「解き放たれて」お話ししようと思います。あらためてこれまでの歩みを振り返ってみると、意外と砂漠だったような気持ちもあり、まずはその背景を皆さんと共有したいと思います。
©︎廣田ふみ Hirota Fumi
日本の文化政策には、時代ごとに明確なトレンドと役割の変化がありました。私自身のキャリアも、まさにこの変遷と並走するように歩んできました。
- 1970〜90年代:国よりも企業やデパートが主導権を握っていた時代です。ソニーの文化事業や、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)、キヤノン・アートラボといった企業のラボがメディアアートの土壌を耕しました。
- 1990年代後半:バブル崩壊後、国は美術館とは別の枠組みとして「アーティスト・イン・レジデンス(AIR)」の充実に着手します。海外の作家が地方に滞在し、市民と交流しながら制作する動きが加速しました。
- 2000年代:せんだいメディアテークや山口情報芸術センター[YCAM]のように、図書館やコミュニティスペースを内包した「複合文化施設」が誕生します。水戸芸術館や森美術館もこの時期に重なります。
- 2010年代:予算編成の切り替えもあり、地域活性化や経済価値を掲げた「芸術祭」が全国へ波及しました。メディアアートも、地域課題の解決や国際交流のロジックの中に組み込まれていきます。
- 2020年代:コロナ禍への喫緊の対応として、文化芸術のDX(デジタルトランスフォーメーション)が課題となりました。2022年に誕生したCCBTも、こうしたデジタル技術による創造性の再構築という流れの中に位置づけられます。
©︎廣田ふみ Hirota Fumi
1997年に始まり、2022年度にその幕を閉じた「文化庁メディア芸術祭」は、作品を検証した後に海外・国内を巡回させる「パッケージ」にしていた点が非常に優れていました。ただ、法的に「マンガ、アニメーション、ゲーム、コンピューター等を利用した芸術」と一緒のカテゴリに突っ込まれてしまったことは、ややこしい問題も生みました。
利点としては、クリエイターへの創作支援やアーカイブのスキームが充実したことです。一方で弊害は、専門的な知見を持つキュレーターが不足し、収蔵システムから離れてしまったこと。そして「収蔵機能を持たない施設」で作られた作品を、誰がどう修復して美術館に渡していくのかという問題がずっと横たわっています。
©︎廣田ふみ Hirota Fumi
2029年に向けてメディア芸術ナショナルセンター(仮称)構想が浮上していますが、主軸となるカテゴリから「メディアアート」が外れ、新たに「特撮」が入りました。「メディアアート、今後どこ行っちゃうの?」という心配があります。当事者が声を上げ、再定義していく時期に来ています。
アート&テクノロジーが結ぶ新たな関係
©︎廣田ふみ Hirota Fumi
廣田:ここまで、文化政策という「制度」の中でのメディアアートの変遷を辿ってきました。しかし現在、アートとテクノロジーの関係は都市開発や社会課題の解決といった、より実社会に近い場所へと接続され始めています。東京都の戦略においてもデジタルはあらゆる施策の「手法」として位置づけられていますが、ここで重要になるのは、アートが単なる便利なツールとして収束してしまわないかという点です。私自身、インクルーシブデザインや文化資源のデジタル利活用に携わってきました。
ここからは、具体的な都市の空間や仕組みの中で、どのようにメディアアートが新しい関係性を結びうるのか、その可能性を事例とともにお話しします。
©︎廣田ふみ Hirota Fumi
CCBTを立ち上げた際、コンピューテーショナルデザインの集中ワークショップを行いました。その時、韓国のメディアアーティストであるセオ・ヒョジョンさんは「作品を端末の中だけで完結させてはいけない」とおっしゃった。韓国では、街のサイネージを広告宣伝だけに使うのではなく、一定割合を文化事業に提供する仕組みがあるそうです。
そこで恵比寿映像祭などで、8メートル四方の巨大なLEDパネルを置いて展示をしました。すると、それを見た方々からこういった施策を「渋谷サクラステージ」や「TODA BUILDING」でもやりましょう、という話に繋がっていった。いいモデルケースができると、このように世の中に伝播していくんだという広がりを強く感じたんですね。
ただ、ここで一つ忘れてはいけないポイントがあります。2010年代以降、芸術祭が広がった時に、コンサルや代理店が「経済効果65億円」「あらゆる社会課題を解決できる」というモデルを提示しました。それによって芸術祭という形式がかなり広がったわけですが、そこで美術界から上がったのは「作家の活動が行政主導の公共事業に閉じていくのではないか」という危惧でした。アートが地域活性化や経済効果のための「手法」へと帰結してしまい、芸術行為自体の価値が希薄化していく。文化行政に携わってきた私自身、この指摘には本当に注意しなければいけないと思っています。
だからこそ、私は「アーティストにニーズや意義がないことはやらない」と決めています。そうしないと、アートが手法化し、それ自体の価値がおざなりになってしまう可能性があります。企業とアーティストが一緒にやる時も、どうお互いにリスペクトを持つか。そうした協働のあり方を、今一度考えていかなければいけない状況にあると思っています。
越境とコレクティブ:生存圏としての共同体
©︎廣田ふみ Hirota Fumi
廣田:文化庁を離れた後、国際交流基金のアジアセンターという企画に関わりました。そこでは「ブランドナショナリズム」のような一方的な発信ではなく、双方向の交流をミッションにしていました。その基本ロジックが、「交流 → 共有→ 協働 → 創造」というステップです。まず喋り、繋がり、共有し、一緒に取り組み、何かが生まれる。特に協働と創造はメディアアートが大得意とする部分ですよね。この考え方は、後にCCBTを創設する際にもすごく参考にしました。
このアジアセンター事業は2013年から約10年間の期限付きのものだったのですが、そのなかでメディア文化をテーマに、東南アジアと日本を行き来しながら5年で間69にも及ぶイベントを行いました。ここで鍵となったのが、トランスナショナリゼーションという視点です。インターネット前提の現代、国という単位を超えた個人同士の繋がりで創造力が生まれる。私たちの文化がどう受容され、再編成されているかを理解する必要があると思ったんですね。
©︎廣田ふみ Hirota Fumi
その一環である音楽交流プロジェクトの「Bordering Practice」は、インターネット上で繋がっている人たちの「オフ会」のようなことを各地でやっていく活動でした。東京から出発して、マニラ、ジャカルタ、ホーチミン、ハノイといった地をツアーで回っていったのですが、参加した20代の若手ミュージシャンたちが抱く「音楽で生きていけるか」という危機感は、私の想像を絶するほどのものでした。ストリーミング主流の今、日本語圏という市場の小ささは死活問題です。片やインドネシアは人口2億、ベトナム・ホーチミンなんかは平均年齢が20代くらいで、彼らが自らシーンを作っている。日本の表現者がアジアの現場に飛び込む「武者修行」的な共同制作は、システム化された振興策とは違う、生存のための戦略なんです。この協働を経ることで、プロジェクト終了後も自発的に現地へ向かうような持続的なネットワークが残り続けます。
また、そこでの「コレクティブ」のあり方は、日本とは根本的に違います。東南アジアでは、コレクティブにならないと生活圏や経済圏を持っていけないから、自律的にそれを作っている。日本の場合は異ジャンルのアーティストが集まる「コレクティブシンドローム」的な側面がありますが、言葉は同じでも文化的背景が全く違う。
こうした東南アジアの現場から学んだ「協働」のあり方は、シビック・クリエイティブの本質にも繋がっています。文化芸術への参加において重要だと言われているのが「ユーダイモニア(持続的な幸福)」。京都大学の内田由紀子教授の見解をお借りすれば、それは「社会貢献の実感」「コミュニティへの所属感」「他者との信頼関係」のことなんですね。アートや音楽といった文化活動は、単なる鑑賞にとどまらず、自ら参加し、シーンやコミュニティの一部となることで、より良い相乗効果が生まれるのだと考えています。この「差異」の交換によるトランスナショナルな接続こそが、これからの共創の肝になると考えています。
異種混交的文化状況を見据えた越境
廣田:最後に「異種混交的文化状況」について。香港の「M+」がなぜアジアをリードする美術館になったか。それは「ビジュアル・カルチャー」という概念で、ビデオゲームや工業製品、建築スケッチをアートと並列に置く戦略をとったからです。寿司屋の建築(※1)すら収蔵されるその「異種混交性」は、日本にとっても大きなヒントになります。
アジアのメディアアートは、キュレーターのグナラン・ナダラヤン氏が指摘するように、「地域に合った方法を作り出す要求」と「グローバルの要請」の間で引き裂かれています。地域ごとの文化的特性を考慮し、独自の形を模索しようとする要求と、グローバルな芸術的発展の趨勢に応えようとする欲求。東南アジアと日本の文化交流に携わる中で、私はこの二つのバランスをどう取っていくべきかを常々考えてきました。
私たちが使う「技術」や「メディア」という言葉は、多分に西洋の基準に基づいています。これに対し、哲学者ユク・ホイが『芸術と宇宙技芸』(2021年)で提唱した「技術多様性(宇宙技芸)」という概念は、アジアの文脈でこれらを考え直す上で極めて重要な示唆を与えてくれます。西洋的な技術の定義を一度相対化し、自分たちの文化的多様性に根ざした形へと「学び直し」をすること。お互いの文化的特性を考えつつ、新しいテクノロジーとの付き合い方を共に導き出していくことが、今まさに必要なのではないでしょうか。
これは、メディアアートが今後どこへ向かうのかという問題にも直結します。今後は、自律的に対話できる場を持ち、社会へ提案していくための「シンクタンク的な力」を養わなければなりません。そのために、私自身も財団の立ち上げに挑戦しようとしています。今後も皆さんに新しい問いを提供できるよう、動き続けていきたいと思っています。
(※1) かつて東京・新橋にあった倉俣史朗氏デザインの寿司屋「きよ友」。店舗の内装一式がM+に移築・永久収蔵されている。
Q&A:「メディアアート」はどこへ向かうのか
戸村朝子: 私はソニーで働きながら文化庁のアドバイザーも務めていますが、日々「文化施策」の重要性を痛感しています。今回の廣田さんのお話は、まさにその施策がどう社会に循環していくのかというプロセスを見せていただいたと感じました。
文化施策というのは、企業活動の中ではなかなか気づきにくいのですが、いわば社会の「OS」や「テロワール(土壌)」のようなものです。その結果が出るのは5年、10年、あるいは25年後といった長いスパンになります。教育施策も同様で、そこで育てられた新しい世代の人たちが、15年、25年という歳月を経て社会の基幹を担うようになっていく。メディアアートの世界で今活躍されているトップクリエイターたちも、そうした過去の施策や教育の循環の中にいたという側面が多分にあるんですね。
ただ、アルスエレクトロニカなどの国際賞の応募数を見ると、日本の現状に対して強い危機感を抱かざるを得ません。かつて日本はダントツの応募数を誇っていましたが、現在は人口比を考えても、中国、台湾、韓国と肩を並べる状況になっています。施策としてのリフト(底上げ)の弱さが、今まさに結果として響き始めているのではないでしょうか。
一方で、エンターテインメントと芸術という領域のメディア表現において、日本はこれらが本当にいい意味で混ざり合っている。ある種、世界でも稀な「当事者」の国なんですよね。だからこそ、目の前の利益を生むために動く論理と、25年先の表現に向き合う論理、その両輪が必要です。もちろんソニーもその一端を担う存在であるべきだと思いますし、ここに集まっている多様な立場の方々全員が、そのための共同体であると考えています。
廣田: 先日台湾を訪れて圧倒されたのは、総合大学の中に「アート&テクノロジー研究所」といった教育施設が極めて高いレベルで整っていることでした。人口が少ないからこそ、テクノロジーで社会を変えていこうという勢いが凄まじく、そこへの教育投資が国家戦略として明確になされているんです。
翻って東京大学でも、近年デザインやアートの幅が急速に広がっていますよね。これまでの美術大学におけるメディアアート教育は、どうしても「美術史」に軸足を置いた表現の追究が主でした。しかし総合大学であれば、テクノロジーや工業の変遷、あるいはより広い社会的背景に目を向け、アートを社会実装の方へとシフトできる。この「美大における一手法としてのコンピューター利用」とは一線を画すスタンスに、私は非常に期待を持っています。実際の教育現場では、そのあたりをどのように捉えていますか?
筧: まさに、そうありたいと考えています。東大でも2027年に「カレッジ・オブ・デザイン」が創設されますが、そこで「アート」をどう位置づけるかは、今まさに議論している難しい問題です。どうしても学内では、アートというものがどこか遠い存在になってしまう。
僕自身は、メディアアートの領域を注視しながら実践もしてきたので、デザインという領域においても違和感なく活動できます。でも、細かく見ていくと、やはり「メディアアートとは何か」という原点に立ち返らざるを得ません。メディアアートそのものと、それが手法として普及した「メディアアート的なるもの」が様々な領域に広がった結果、いわゆるメディアアートとして一体何が残っているのか、という議論です。
「メディアアート的なるもの」は、いまやデザインやエンジニアリングにおける極めて有用な基盤となりました。総合大学の中でそれがベースになれば、越境的な化学反応が起きて非常に面白い。けれど、そこで「では、あえて『メディアアートそのもの』として、何を教えるのか?」という、アイデンティティに関わる問いが突きつけられるんです。
今ではデザインをドライビングフォース(推進力)にして新しい価値を設計する枠組みが浸透していますが、それはメディアアートでもよかったのかもしれない。でもそうならなかったのはなぜなのかっていう話は、もう少し丁寧にみていかなければならない部分なのだと思います。日本における企業やエンターテインメント、プロダクトとの距離感、あるいは「メディアアート」なのか「メディア芸術」なのかという定義の曖昧さ。こうした日本特有の特徴を「弱点」のままにせず、いかにポジティブな還元へと変えていくか。定義・分野横断・産業連携、そのすべてを貫く「領域としての戦略」こそが、今まさに求められているのだと感じます。
廣田: 実は先日フランスを訪れた際、世界数十カ国のプロデューサーやキュレーターが集まる場で、誰も「メディアアート」という言葉を使っていないことに気づきました。「あれ? ニューメディアアートやメディアアートという言葉はどこへ行ってしまったの? みんな今は何て呼んでいるの?」と聞いたら、返ってきたのは「アート&テック」という言葉でした。おそらく海外では、「メディアアート」という言葉はかつての「ビデオアート」と同じように、特定の手法や時代を示す言葉として、すでに一種の役割を終えているのかもしれません。
一方で、日本ではいまだにこれほど「メディアアート」という言葉が使われている。これほど固執しているのは日本だけかもしれません。それは「文化庁メディア芸術祭」が果たしてきた役割や影響も大きかったのでしょう。実は私自身、今日お見せしているスライドの中で「アート&テクノロジー」という言葉を選びつつ、実はまだ迷いがあるんです。
それはやはり、「メディアアート的なるもの」と「メディアアート」が、どうしても互いに干渉し合ってしまうからです。「アート&テック」と言い切ってしまえば、それは「テクノロジーを使った美術表現」であることをシンプルに指し示します。対外的なコミュニケーションや、既存の美術の枠組みで捉えるなら、その方が明快かもしれません。
しかし、メディアアートという言葉は本当に難しいですね。これまでこの言葉が担ってきた領域の広さや、その難しさをどう引き継いでいくのか。行政や社会と対話する際に混乱を避けるための言葉の使い分けも含め、その内実をどう定義し直していくか。言葉選びそのものを、これからの専門性や職業倫理の問題として、真剣に考えていかなければいけないと思っています。
筧: 「メディアアート」を開拓してきたフェーズと、その成果である「メディアアート的なるもの」を請け負う人たちの間のギャップですよね。かつてその「芯」を担った人たちが外側に広がって成功したストーリーはたくさんありますが、今、最初からその外側を見て育ってくる人たちは、どこを見ればいいのか。
廣田さんのお話を聞いていて、これはメディアアートに限らず「学際性」が抱えるジレンマだと感じました。90年代に学際的な組織が立ち上がった際、当時の大人たちは皆どこかに「専門性(縦糸)」を持った上で、横に広げていく人たちでした。しかし、最初から学際的な環境で育った今の世代は、まず「横(広がり)」から入り、その後に自分の「縦(専門性)」を見つけていかなければならない。メディアアートが「メディアアート的なるもの」としてあらゆる領域に広がった結果、そこから入ってきた若者たちが、果たしてどこに根を下ろすべきなのか。何でもありになった時代に、どうフレームを取るのかは本当に難しい。
僕はこれまでこの領域で「楽しいな」と自由に活動してきましたが、今振り返ると、それは文化政策的なサポートという「安心感」の制度の中にいたからこそ、自由にさせてもらえていたんだと改めて気づきました。制度がバックアップしてくれている国や場所で活動できるということは、表現者にとって非常に強いことですよね。
廣田: 本当にそうですね。もしこれが「美術」という既存の枠組みだけにストンと落ちてしまったら、今のような自由な広がりは失われてしまうかもしれません。ありのままのメディアアートを巡る実情として、自分たちでこの領域を再定義し、新しい形を提案していく時期に来ているのだと思います。
