「越境的未来共創社会連携講座」設立記念シンポジウム
文理融合の研究と、アートやデザインなどの表現を実践する大学院、情報学環を中心とする東京大学、および「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」を存在意義に掲げるソニーグループが連携し「越境的未来共創社会連携講座」(通称: Creative Futurists Initiative)をスタートさせました。同講座は社会を批判的に読み解き、アートとデザイン、そして工学のアプローチによって問題提起・課題解決を行う人材を育成することを目的としています。2024年2月22日(木) に東京大学情報学環・福武ホールで開催された同講座の設立記念シンポジウムの内容をレポートします。
(※) 記事中の所属・役職等は取材当時のもの
TEXT: Akihiko Mori
PHOTOGRAPH: Timothée Lambrecq
PRODUCTION: VOLOCITEE Inc.
目指すのは、コレクティブクリエイティビティによる社会課題解決

山内祐平(東京大学大学院 情報学環 学環長・教授)
Creative Futurists Initiative 設立記念シンポジウムは、2部構成であり、まず第1部では、講座設立挨拶および、同講座の概要と関連活動の紹介およびパネルディスカッションが行われました。
講座設立挨拶で、東京大学の山内祐平(東京大学大学院 情報学環 学環長・教授)は同講座の位置づけについて、「越境的未来共創社会連携講座の立ち上げは、まさに情報学環が追求してきた学際的なアプローチを体現したもの」と話しました。そのアプローチとは、人文社会学の提供する深い洞察力、工学のもたらす厳密な問題解決能力、そしてアートの開拓する創造性と感受性を統合すること、既存の枠を超えた新しい視点から社会の課題を解決することです。

住山アラン(ソニーグループ株式会社 コーポレートテクノロジー戦略部門 部門長)
それに呼応し、ソニーの住山アラン(ソニーグループ株式会社 コーポレートテクノロジー戦略部門 部門長)は、同講座の特長が、単一の研究室ではなく情報学環という大きな組織と多角的な事業を行うソニーグループのダイナミックな連携にあるとしました。そして「この講座がハブとなって学外の多様な人的・知的資源によるその集合的な創造(コレクティブクリエイティビティ)を目指すこと、そうして得られた知見を社会に還元・共有することを目指します」と展望を話しました。
新規性だけではなく、社会との関係性から創造する

筧康明(東京大学大学院 情報学環 教授)
運営を担当する東京大学の筧康明(東京大学大学院 情報学環 教授)より、越境的未来共創社会連携講座の概要説明が行われました。同講座の立ち上げは昨年末(2023年)、活動期間は2027年の3月までの約3年間です。筧は「研究活動を研究に閉じるだけではなくて、社会と繋いでいく、あるいはより多様な専門家の方々と活動をご一緒したい」ということを、同講座設立のモチベーションに挙げます。
筧は、インターフェース技術を中心としたメディア工学をバックグラウンドとし、自らも東京大学大学院情報学環で学ぶ過程で、アートやデザインと出会いました。現在は、インタラクションデザインやメディアアートの領域を横断しながら活動を続けてきました。東京大学大学院情報学環の研究室では、インタラクションデザイン、インターフェース技術に注目し、特に画面の外にデジタル技術をどのように持ち出せるかという探求を進めてきました。「新規性だけを追い続けて技術を作っていくということだけではなく、技術と社会環境あるいは人間との関係性を問い、その関係の中で次に何の技術を作るのか、なぜそれを作るのかを考えるべきです」と筧は研究の姿勢について話します。
同講座はすでに活動を開始しており、基本的には東京大学とソニーそれぞれの教員や専門家が提供するレクチャーシリーズ、アート思考、デザイン思考、人文社会学者に向けたクリエイションのスキルセットや知識を交換するワークショップシリーズによって構成されます。さらに国際的なコラボレーションも進められる予定であり、外部からのクリエイターやアーティストを招聘するゲストレクチャー、UAL(ロンドン芸術大学)やパーソンズ美術大学等の海外の芸大・美大とのコラボレーションも行われます。
筧は、この講座で技術、デザイン、そして社会という3つのキーワードを架橋するような新しい取り組みを作っていきたいと話します。「(これらの専門的な領域に新しいつながりを生むためには)共通の問題意識や問題設定が必要です。そうした役割を担う人を『Creative Futurist(越境的未来共創者)』と位置づけたいと考えています」(筧)
人文社会学、ゲーム、ブロックチェーン…多様な専門性を持つ東京大学の教員
続いて、越境的未来共創社会連携講座で、関連プロジェクトについて教員をつとめる田中東子、渡邉英徳、高木聡一郎(東京大学大学院 情報学環 教授)より説明がありました。

田中東子(東京大学大学院 情報学環 教授)
田中はメディア文化論、ジェンダー研究、カルチュラル・スタディーズを専門とする研究者です。「テックバイアスプロジェクトは、テクノロジーの開発時、実装の際に盲点となりうるバイアスについて、たとえばジェンダーやセクシュアリティなどの観点から考察し、その改善や解決に向けて具体的な制作物を共創していくというものです」と田中は話します。
プロジェクトを通し、社会学や人類学的なフィールドワークを経験したことがある人にとってはデザインや制作の手法を学び、デザインや工学分野の経験者はフィールドワークの手法をともに学ぶという交流を促していきたいとします。「企業・産業的な視点と学術的視点を融合させ、対峙させながら、どのように課題や問題に取り組んでいけるのか、ということも考えていきたいと思います」と田中はプロジェクトの展望を話します。

渡邉英徳(東京大学大学院 情報学環 教授)
渡邉は、戦争や自然災害などで蓄積されてきた貴重な記録をデジタルマップを使って可視化する研究を進めてきました。最近では、ウクライナ戦争で破壊された建物のデータを地元のクリエイターとコラボレーションしながら収集し、3Dのマップにするプロジェクト「Satellite Images Map of Ukraine」が注目を集めました。
また渡邉は、かつてソニーに在籍したゲームクリエイターという経歴の持ち主でもあります。制作したゲームは『アディのおくりもの』、女の子が2次元の水彩画の中を歩くというものであり、現在はこのシステムをつかって、バーチャル上で古い写真の中を歩くことのできるプロジェクトを行っています。写真の中を実際に歩くことで、さまざまなことが想起されるといいます。「僕が期待しているのは、こうして僕が20世紀につくったゲームが、時間とメディアを超えて新しい体験をつくったように、立場や社会的な属性を超えたコラボレーションを、学生のみなさんと展開していくことです」と渡邉は話します。

高木聡一郎(東京大学大学院 情報学環 教授)
最後の高木は、情報学環の中でブロックチェーン研究イニシアティブを立ち上げ、研究をしています。専門は情報経済学、デジタル経済論、イノベーションマネジメントであり、メンバーの中で最もビジネス寄りの研究活動を行っています。最近では、DAO(分散型自律組織)の国際的なカンファレンス「DAO UTokyo」をスタンフォード大学等とともに主催しました。
高木は「デフレーミング」という概念を提唱しています。デフレーミングとは、伝統的なサービスや組織の枠組み(フレーム)を越えて、内部要素を組み合わせたりカスタマイズを行うことで、ユーザーのニーズに応えるサービスを提供することをいいます。「たとえばブロックチェーンによって、個人がより自律的に、個人の信頼で仕事などをしていくことができます。ITによって取引に関わるコストが少なくなってきたことにより、デフレーミングはさまざまな側面で生じています」と高木は話します。
現在はデフレーミングの概念をもとに、新たなビジネスモデルを考えるためのフレームワークや方法論の構築に取り組んでいるといいます。「このプロジェクトの中では(人文社会学、デザインやアートの要素を)、実際の具体的なビジネスにどのようにつなげていくかを取り組んでいけたらなと思っています」と高木は同講座でのモチベーションを話します。
ソニーのサステナビリティへの取り組み方

シッピー光(ソニーグループ株式会社)
次に、ソニーグループでサステナビリティ推進をリードする シッピー光は、ソニーのサステナビリティに対する取り組みについて説明しました。ソニーは、エレクトロニクス、ゲーム・ネットワークサービス、エンタテインメントなど、多岐にわたる事業をグローバルに展開している企業です。現在は、売上の半分以上をエンタテインメント事業が占め、その他にも半導体や金融領域の事業を手がけています。ソニーのPurpose(存在意義)は、「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」ことであり、このPurposeを軸に社会に貢献していくことを大切にしています。
中でもサステナビリティへの取り組みは、健全な地球環境を前提とし、さまざまなステークホルダーとの対話を通じて進められています。気候変動、ダイバーシティ&インクルージョン、人権の尊重、サステナビリティに貢献する技術などを重要な課題として取り組んでいます。具体的な取り組みとして、アクセシビリティ向上のためのインクルーシブデザインの推進や、パートナーシップを通じた社会貢献活動があります。
「インクルーシブデザインは、障がいを持つ方々も含め、すべての人に使いやすい製品・サービスの開発プロセスです。例えば、誰もが使えるように設計されたプレイステーションのAccessコントローラーの開発などが挙げられます。製品やサービスの企画設計、開発の初期段階から当事者の方を巻き込んでいくというプロセスを経て開発しています」とシッピーは話します。ソニーでは、研究開発においても、社会課題に目を向けて新しいテクノロジーを生み出してく土壌があるといいます。「シネコカルチャー(協生農法)は、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)で研究されてきた地球生態系が元々持っている自ら多様化し機能する仕組み(自己組織化能力)を多面化・総合的に活用しながら生態系を拡張していく環境技術の一つです。今年からWWFが進めているインドネシアのスマトラ島における森林の再生活動において、シネコカルチャーの導入により、長期的に森林周辺のコミュニティに貢献するとともに、多世代にわたって活用されうる森林の存続と、生物多様性の保全の両立を目指して取り組んでいます。」(シッピー)
さらにソニーは、WWFやセーブザチルドレンなどのNGOやNPOと連携し、環境保全や災害支援など、様々な社会課題への取り組みを行っています。これらの活動を通じて、社会全体の持続可能性向上に貢献し、ソニーが目指すサステナビリティの実現を目指しています。講座では、ワークショップなどを通し、こうしたソニーのサステナビリティにむけての取り組み方を共有する機会を模索していくことのことです。
Creative Futurists(越境的共創者)とは?
第一部の締めくくりとして、教員らによるパネルディスカッション「Creative Futurists」が筧康明による司会によって行われました。田中東子は、テクノロジー全盛の時代において人文社会学の研究が現代において重要性を増していることへの実感を、研究者の目線から語りました。
田中:テクノロジーが社会の隅々まで浸透する現代において、人文社会科学系の研究者たちはますます自分たちの研究の価値について不安を抱えていることが多いです。しかし、テクノロジーが社会に与える影響が増すほど、人文学や社会学が長い歴史の中で近代や現代を分析し、構築してきた枠組みや眼差しがもたらす視点や理論が重要になってきていることに気づかされます。
続いて筧は「産学それぞれの良さを活かし、拡張していく共創はいかにして成し遂げられるか」という点で、高木聡一郎に問いかけました。
高木:大学や企業が提供しているものは、「信頼の仲介」のようなことがとても重要だと思います。東京大学の学術的な信頼から生まれる共同研究、ソニーのエンタテインメント事業への信頼から生まれるアーティストとのコラボレーションがある。そうした信頼の仲介が、共創の鍵になるのではないでしょうか?

企業とのコラボレーションという点で、田中は「人権の問題や、ダイバーシティ&インクルージョンなどの人文社会学が取り上げてきたテーマに関して、なぜソニーが関心を持って取り組んでいるのでしょうか?」と問いかけました。
シッピー:やはり製品を作るプロセスの中で課題の特定に至っています。たとえばサプライチェーンをさかのぼることによって、労働者の問題や人権の問題が見つかります。また、エンタテインメントに関わる事業であればコンテンツの中で表われるバイアスやダイバーシティ問題があります。
社会課題はときに非常にセンシティブな内容を扱います。それらを表現に落とし込むときに、デザインには何ができるのでしょうか。渡邉英徳は表現によって何が生まれていくかが重要だと話します。
渡邉:難しいのは、戦争や災害を扱うときに、言葉で「美しくかっこよくデザインすることが大事なんです」と言ってしまうと反発を受ける場合があります。でも実際に画面全体に気持ちをみなぎらせ、隅々まで本当に自分自身がかっこいい、美しいと思うデザインを施せば、何も言わなくても、協力してくれる方がどんどん生まれてくる。
ディスカッションの内容を受け、自身もメディアアーティストとして活動する筧は、社会における問題を見つけ、それに対し光をあてることが、アートにおける表現では重要だと話しました。
筧:たとえばアルスエレクトロニカフェスティバルなどに出展されている、特にヨーロッパのメディアアートの多くは、気候変動やマイノリティの問題など、社会課題との接続が欠かせないものになってきています。アートにおいて重要なことはまず「問題がある」ということに光を当てる。そして先に、解決に向けた議論というものが立ち上がってくるという順序です。
越境し行動する研究所
次に、ソニーグループ株式会社執行役 専務 CTOの北野宏明が基調講演を行いました。“越境的未来共創”における越境を、自らが代表取締役社長をつとめる株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)のスローガンである「Act Beyond Borders(越境し行動する研究所)」から語りました。北野の活動はまさに越境者そのものです。山中俊治とともに開発したロボットMorph、仙台メディアテークや公立はこだて未来大学などの建築物(それぞれ建築家の伊東豊雄氏、山本理顕氏と協業)など、その活動は非常に多様です。自らが研究者として携わってきた人工知能とロボティクスからどのように越境し、新しい景色を見て、つくりだしたのか。ソニーCSLの活動を通し、そのダイナミズムが語られました。

北野宏明(ソニーグループ株式会社執行役専務兼CTO)
自分の研究分野である人工知能やロボティクスを加速させるために、世界中の研究者が参加できるイベント、すなわちプロジェクト型やコンペティション型の研究を試みることを思いつきました。そうした取り組みは当時ほとんど存在しておらず、新たな挑戦となりました。そうして研究の枠組みの中で競技会を実施する「ロボカップ」を創設するに至りました。
ロボカップの第1回世界大会(愛知・名古屋)は1997年に開かれました。この試みが今では、年間約3000人の研究者が参加する大会になり、25万人の子供たちが参加する、ロボティクスやプログラミング、AIの基礎を学ぶ大規模な教育イベントへと発展しました。そしてロボカップからはイノベーションも創出されています。ロボカップで培われた技術を基に、倉庫の物流を自動化する技術を開発した Kiva Systems は後に Amazon によって買収され、Amazon Roboticsとして現在の倉庫物流の新しいパラダイムを築きました。
ロボカップを運営するには資金調達が必須で、イベント開催にはかなりの費用がかかります。参加料だけでは不足するため、多くの企業から支援を求めています。その中でルイ・ヴィトンと出会い、彼らがスポンサーしている国際ヨットレースの「アメリカスカップ」で、直接CEOにプレゼンテーションを行いました。人生でもっとも重要なプレゼンテーションにはパワーポイントは使えず、とても短い時間で必要なことを伝えなければならないことを、つくづく痛感しました。結果として、ルイ・ヴィトンにロボカップのスポンサー(*)になっていただくことが決まりました。*2002-2016年Best Humanoid Awardを協賛
この経験を通して私は、チャリティーイベントにおける、途上国に対する企業の大規模な寄付活動に気がつきました。そして自分が途上国の実情について十分に理解していないことに気がついたのです。当時は、この問題に対して積極的なアクションを起こせませんでしたが、その後、私が提唱した「システムズバイオロジー」の分野に取り組んでいくうちに、より広い視野で世界に貢献する方法を模索するようになりました。
ノーベル財団からシステムズバイオロジー分野でのノーベルシンポジウムに参加するためスウェーデンへ招待されたことは、私にとって大きな喜びでした。これは、私が提唱した分野が世界的に認知された証拠です。そこでは、緑化や貧困、医療問題を解決している世界中の人々と出会い、彼らの情熱に触れました。これらの経験を通じて、科学研究だけでなく、より大きな社会的影響を与えるアクションを起こすことの重要性を実感しました。
私の探求の旅は続きました。インドのジャイプール近郊の村やスラム地区を訪れ、現地の状況を直接目にしました。ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)のチームとともに、これらの体験から学んだことをもとに、私たちがどのようにグローバルアジェンダに貢献できるかについて議論しました。その結果として、「Act beyond borders(越境し行動する研究所)」というスローガンを採用しました。
ソニーCSLでは、シネコカルチャー(協生農法)、義足の研究開発、分散型エネルギーシステムなど、多岐にわたる研究を進めています。環境問題やディスアビリティへの対応、グローバルアジェンダへの貢献だけでなく、音楽やAIなど、最新技術を活用したり全く新しいアイデアで人間のクリエイティビティーを拡張するための研究も含まれます。ソニーCSLは大きな組織ではありませんが、東京、パリ、京都、ローマに拠点を持ち、世界中で活動する研究者たちが、グローバルな影響を与えることを目指しています。私たちの目標は、たとえ少数であっても、大きな変化の起点となること、「Global Influence Projection」です。
この考えは、たった一人の力でも大きな影響を与えることができるという信念に基づいています。たとえ私たちが30人と少数であっても、この影響力を持つことで新しいアイデアを生み出し、共に行動したいと思う仲間を増やし、企業や国家を動かすことができるのです。
そうした組織になるためにはどのような考え方が必要か。私たちがたどり着いたのは「Dispersive Organization」という組織のあり方でした。これは、光がプリズムを通過するときに見られるような、多様な色彩や視点を提供する組織を目指すという考え方です。また、化学におけるディスパージョンのように、一つの物質が他の物質に浸透していくプロセスを組織運営においても模倣しようとしています。つまり、私たちの理念に共感し、世界を共に変えていくような人々を見つけ出し、様々な組織や場所に私たちの影響力を浸透させていくことが重要だと考えています。このような多様性と浸透性を兼ね備えた組織を目指して、私たちは試行錯誤をしながら前進しています。
「Earth Rise」という有名な映像があります。月から撮影された、地球が月の地平線から昇ってくる映像です。これを見た瞬間、人類の認識は大きく変化しました。宇宙から見た地球が月の上から昇る姿を目にしたことで、私たちの考え方や世界観が根底から変わったのです。科学研究だけでなく、大学での研究を通じて新しい挑戦をする際に、このようなパラダイムシフトを起こせることが非常に興味深く、価値のあることだと思います。世界各地を訪れ、多様な分野での経験や、時には困難に直面することもありますが、そうした経験が集積されることで、新たな発見や洞察を得ることができるのではないでしょうか。
科学とデザインの実験室から

山中俊治(東京大学特別教授)
続く2つ目の基調講演では、東京大学特別教授の山中俊治による講演が行われました。グッドデザイン金賞、ニューヨーク MoMA永久所蔵品選定など、国内外で評価される山中のクリエイションは、スマートウォッチ、ロボット、義足など非常に多岐にわたります。東京ミッドタウン内にある「21_21 DESIGN SIGHT」にて8月21日まで行われる展示「科学とデザインの実験室から」と同名の基調講演では、科学とデザインの境界をいかにして超えてクリエーションを行うか。その実験の様子が、1998年に出版された本に描かれた、絵から語られました。
私の活動は、科学者とデザイナーの間にある仮想的な「塀」を越える試みであり、これが最大の挑戦でした。多くの場合、この塀の存在により、双方がお互いを理解しにくい状況にあります。しかし、この塀の上に立つことで、両方の視点を満たす方法が見つかると信じて活動 してきました。
私は1998年年に『フューチャースタイル』という本を出しています。この本では、東京大学でいろんな研究者の仕事を見てて、「未来って面白い」って思ったものを絵にしている、というものです。『AXIS』という雑誌に連載していたものをまとめた本です。たとえば、マイクロマシンという非常に小さなロボットがいろんなことをしてくれるという、研究者が夢見ている風景を描いた絵があります。残念ながら、こんなことには全然なっていませんね。
当時から生物とメカニクスの融合を考えている人もいて、「ウェットウェア」と当時は言いました。そこからインスピレーションを受けて、未来には培養した筋肉をつかった機械もあるかもね、という絵を描きました。実はこれは実際に少しずつ実現していて、竹内昌治先生(東京大学)は、実際に細胞培養された筋肉で動くロボットを作りました。
そんなふうにして未来が当たったり、当たらなかったりなんですが、こんなことをやっているうちに、研究者と本格的に出会うようになってきました。稲葉雅幸先生が率いる東京大学の情報システム工学研究室は、ロボット技術の分野で広く知られています。彼らのとの出会いが、新しい創作活動の扉を開きました。私が2001年に初めて作ったロボット「Cyclops(サイクロプス)」は、彼らの「背骨を持つヒューマノイドロボットの研究」がベースになっています。ちょうどその頃出会った、二人の若い技術者、田川欣哉さんと本間淳さんの力を借りながら制作しました。田川さんは、現在ではTakramという日本を代表するデザイン事務所を率いています。
サイクロプスは、日本科学未来館のオープニングイベントのために作られたもので、人が近づくとその方向を向くというシンプルな機能だけを持っていました。当時、ロボットはダンスや歩行など、より複雑な動作をすることで注目を集めていましたが、私はあえて、じっと見つめるだけという、シンプルで怠惰な振る舞いのロボットを制作することを探求しました。

北野さんからの紹介で、古田貴之さんというエンジニアと出会い、その後のロボットのプロジェクト「Morph」シリーズにつながりました。これらの経験は、科学とデザインの融合が新しい価値を生み出すこと、そして異なる分野の専門家との協働が創造性を高めることを教えてくれました。
私は、デザイナーやアート系クリエイターとして振る舞うときと、サイエンティストとして振る舞うときを使い分けています。これらは容易には混在しないものです。アート系クリエイターは、主観的に感じた「かっこいいでしょ」「綺麗でしょ」あるいは「ドキドキしませんか」「わくわくしませんか」というものを、人々の共感を引き出し広めていくことに重点を置いています。一方で、サイエンティスト、特に工学系の研究者は、その研究が持つ価値、新規性、そして社会的インパクトを事前に詳細に論じ、その重要性を説明します。
アーティストに「それは何のためにやっているのか」と尋ねた場合、多くは「見ればわかる」としか答えないか、または「好きだから」と答えることが多いです。これらのアプローチの違いは根本的に異なっており、一人の中にこれらを共存させることは難しいのです。しかし、その両方を兼ね備える人こそが、最も優れた作品を生み出すと私は信じています。
そのため、私の研究室では、アーティストもエンジニアも歓迎しており、エンジニアには「本当にそれを作りたいのか」と問い、アーティストには「それの持つ価値を口で表現してみて」と促しています。このような越境能力を持った人材を育成することが私たちの根本的な目標です。
論理と感覚、科学とデザイン、その越境の本音
第二部の締めくくりとして、基調講演を行った山中俊治、北野宏明、および東京大学理事・副学長の林香里、筧康明によるパネルディスカッション「越境的未来共創の土壌」が戸村朝子(ソニー)の司会によって行われました。
序盤で、林香里はジャーナリズムの視点から「越境」について述べました。林はメディア・ジャーナリズムを専門とし、東京大学ではBeyond AI研究推進機構において、「AIと社会」部門としてB’AI Global Forum (ビー・エイアイ グローバル・フォーラム)を立ち上げ、AI時代における真のジェンダー平等社会の実現とマイノリティの権利保障のための規範・倫理・実践研究を行っています。

林:私は日本のメディアやジャーナリズムを批判的に考察していているのですが、その際に感じるのは、ニュースも同じところばかりに光を当てていると、つまらなくなるということです。ものごとは、越境したところから見ると、光の当てる角度も変わり、新しい景色が見えます。
続いて司会の戸村は、山中に対し、どのように科学者とデザイナーという性質をひとりの中で同居させているのかと質問すると、山中は「同居はできないですね」と答えました。
山中:論理思考(科学者)と感覚に浸る(デザイナー)のを同時にやると、どっちも濁る。だから、「今はこっちだけ考えよう」という切り分けを個人の中ではしています。学生やエンジニアたちと、あるいはもの作りの人たちと話すときもそれは意識します。つまり、「こうするとわくわくするでしょ、こういう気持ちに一緒になりたいと思いませんか」という呼びかけと「いやそこはあと2mmないと強度が…」という論理的な議論をするときを混ぜないのはとても大事だと思っています。
この意見に、北野も「サイエンスをやっているときと、テクノロジーをやっているときは、頭の使い方が全く違うんです」と共感しました。
北野:世の中では『科学技術』って一言で片づけられるけど、たとえば生物学としての研究をやっているときの頭の使い方と、コンピュータサイエンスで並列マシンを設計しているときの私は全く違います。さらに言うと、一緒にはできないです。例えば今週生物学をやると、翌週にはテクノロジーはできません。そのくらい違うものです。
山中らの対話に共鳴し、筧は共創におけるゴールの策定について話しました。
筧:ゴールだと思ったことに対して、ある種のバイアスが含まれていたりする場合がある かもしれません。それに対し、確認しながら進んでいくことが重要だと思っています。アート、テクノロジー、デザイン、エンジニアリング、といった既存の枠組みにおいて、もしかしたらその外側にあったのかもしれないジャーナリストの視点で、今日の議論をどのように聞かれましたか?
林:私が工学系の先生方のお話を聞いて、しばしば感じるのは、工学の先生方は、基本的に、ご自分が開発するテクノロジーは「良いものだ」と確信を持っていらっしゃることです。他方で、私のような人文社会系の研究者は「人類は近代において大変な過ちを犯した」という深い反省の中で学問を続けています。つまり、同じ研究者として、非常に楽観的なテクノロジーへの感覚を持つ者たちと、非常に悲観的な近代に対する反省をもつ者たちが、21世紀にどのように協働し、学問を融合させ、越境的未来の共創をしていくかというところはいつも考えさせられますね。
さらに林はこのプロジェクトの重要概念である「デザイン」について「『デザイン』っていうのは理系でも文系でもない。じゃあ、何系なのか」をよく考えるといいます。それは、きっと、文系理系を超えて、さらに学問の原動力と考えられてきた理性だけでもない。それは、人間の営為の総体であるところの、感情や感性をも糾合した越境的な“全てのメソドロジー”なのではという仮説にたどり着いたといいます。それに対し、山中が答えました。
山中:広義のデザインは本質的にそれだと思います。学問というのは、やはり学問として完成させようとするため、その学問における知を使って何かをする、ということに対する指針は基本的には与えません。それらの学問知を使って、何かすることを組み立て、人と折衝し、他人を説得するためにビジョンを掲げる、というアクションを起こすための様々な技法・方法論の集合体が僕はデザインだと思っています。
北野:「デザインする」というと、モノのデザインが念頭に浮かぶかもしれませんが、ロボカップの本質は組織のデザインです。もっとも研究が加速するには、知識、ノウハウがシェアされ、開発されたソフトウェアや設計がさらにシェアされることです。そのためにデザインしたのがロボカップです。
さまざまな議論が行われたパネルディスカッションの最後に司会の戸村は「越境というものは目的ではなく、運動体だと思います」とコメントし、「見えない価値があればそれを照らし、必要な価値がまだ存在しなければそれを築く。そうした自由度がある講座になるといいなと思っています」と、これからの展望を語りました。
知は多様性が育む

林香里(東京大学理事・副学長)
最後に、パネルディスカッションにも登壇した東京大学理事・副学長の林香里から閉会の挨拶がありました。その中で語られたのは、東京大学理事副学長として林が担当している、大学の国際化とキャンパスのダイバーシティ・インクルージョンの推進についてでした。
「本日のソニーのご登壇者、参加者のリストでは、、ジェンダーや国籍の多様性が際立っていました。まさにこの多様性こそが、ソニーのパワーの源となっているんだなと改めて感じました。東京大学の多様性には、まだまだ課題が多いのが現状です。」と林は問題を指摘します。
その上で、林は情報学環のダイバーシティの数字については、女性教員の比率は33%、女性学生の比率は47%。留学生の比率も4割程度まで上がっていることに着目。他方で、、東京大学全体の平均は女性教員は15%、女性学生は24%に留まっていると言います。その上で、多様性を持つことの重要性を、『多様性の科学』を著したマシュー・サイドの知見から「多様な視点を持って、相互に考え方の違う人たちがいる集団というのは似たり寄ったりの考え方を持つトップ集団よりも、劇的に集合知を発揮する」とも指摘しました。
「異なる分野の統合が、実践的かつ革新的な解決の導出に不可欠です。情報学環は、ソニーグループとの連携を通じて、それをさらに発展させる、そんな楽しそうな展望が見えてきました。ちょうど今週、東京大学は「カレッジ・オブ・デザイン」という学部と修士課程の一貫教育プログラムを立ち上げることを発表しております。情報学環がこれまで培ってきた実績を生かして、このプロジェクトの成果を、全学に広げていただければと思っております」と、林は締めくくりました。
シンポジウムの終了後には懇親会が行われ、ソニーが研究開発を進めている「シネコカルチャー(協生農法)」(生態系が本来持っている自己組織化能力を活用し、有用な植物を生産する農法)によって育てられたフードが並び、シネコカルチャーの研究者であるソニーコンピュータサイエンス研究所から太田耕作が解説を行いました。