アートの創作プロセスにおける外界・認知・身体の相互作用|CFD006(後編):高木紀久子(東京大学大学院)
東京大学×ソニーグループによる、Creative Futurists Initiative(以下CFI、越境的未来共創社会連携講座)は、領域を越境し、未来へ向けた共創を先導する方々を迎える対話の場、Creative Futurists Dialoguesシリーズ(以下CFD)を展開しています。第6回目のゲストは、美術家として活動後、認知科学・認知心理学領域へと進み、特に芸術家の創作プロセスと芸術創作の教育支援について実践的な研究に従事するという、越境的な経歴を持つ高木紀久子氏です。後半では、参加者らはフロッタージュとフレーミングのワークを通じて、環境に対する身体の使い方やものの見方について、アーティストの探索活動の体験から創作プロセスにおける認知の作用を実感してもらいました。前編はこちら。
(※) 記事中の所属・役職等は取材当時のもの
TEXT: Nanami Sudo
PHOTOGRAPH: Yasuaki Kakehi Laboratory
PRODUCTION: VOLOCITEE Inc.
偶然の出会いを「類推」と「驚き」で活用する
高木紀久子(以下、高木):これから紹介する研究は、アーティストの篠原猛史さんによる「behind the scene アート創作の舞台裏」という東大の駒場博物館での展示の研究です。約11ヶ月にわたった発話のインタビュー結果、ドローイングの写真、写真を使ってアイデアを探索している様子を分析しました。
この展覧会は、彼がデュシャンの作品を観たいというところから始まっているのですが、会場は、デュシャンの代表作のひとつである『大ガラス』のレプリカがあるということで有名な美術館です。 展覧会をするために、自分のコアになるコンセプトを探索した結果、写真フェイズのところで新しいアイディアが生まれました。そのアイディアの名前は「ホワイトノイズ」と言います。
これはドローイングフェイズで作ったもの、写真フェイズで探索したもの、そしてこれが最終的な作品のひとつです。
初めに彼は『大ガラス』の間のこの線の部分に注目し、作品コンセプトのスタート地点を「ボーダー」としました。上下や内容的なものを分断するというアイディアから作品の探索を始めました。
これは、下位カテゴリーというものによって、コンセプトが生成されているということを、共起分析したものです。各インタビューごとのテキストユニットなどをカウントして、ネットワーク構造を彼の発話から見ました。
初期のドローイングフェイズではデュシャンという言葉が多く出てきて、写真フェイズで作品のコンセプトが見つかり、実制作フェイズへと移ります。 初期段階では他に「大ガラス」や「イメージ」という言葉が彼の発話の中でたくさん出てきて、一つの文章の中に同時に出てくるという共起を見ています。そのように、3つのフェイズのもとで、写真フェイズでは「関係性」が中心となり、実制作フェイズに入ると「ホワイトノイズ」という、自分の作ったコンセプトの共起回数が上昇して上位に出てきます。自分が中心に持っているイメージがコアになると同時に「デュシャン」が復活します。作品コンセプトを見つけたときには一度消えていた「デュシャン」が、最後の実施制作フェイズでもう一度上位に復活するところが非常に面白いところです。写真フェイズでおそらく何らかのクリティカルなことがあったのだと想定されました。
この発話分析をまとめたものがこちらです。当初「大ガラス」「イメージ」「デュシャン」を中心に、色々な検討をしていたことがわかりました。そして、作品コンセプトを発見したことによって、精緻された思考の構造が現れ、ここでまた「デュシャン」が復活しました。これは上位30位までをカウントしているため、「デュシャン」が途中で消えた時も全く登場しなかったわけではなく、30位よりも下になっていただけかもしれません。ただし、30位以上に上がるというのは、かなり意識の上に何度も出てきていることを示します。
もう一つの研究は、実際に作品コンセプトが見つかったときの認知はどうなっていたのかということです。先ほどの研究は、全工程の中で何が起きたのかをボトムアップに発話から見ていきました。対してこちらは、具体的に何が起きたのかを見ます。
そもそも彼は、全てのものを隔てる壁やボーダーのメタファーとしてこういったものを考えていました。壁やボーダーの向こう側は微かには見えるが、意識しなければはっきりと認識できないというような考え方です。それが途中で、互いを隔てる障壁を乗り越えることができるというように、彼はボーダーをただの壁ではなく、メタ的に扱うようになりました。それが最後には、作品シリーズの中核に位置するコンセプトになったのです。初めはボーダーを隔てるものと捉えていたけれど、何らかのプロセスを得て、乗り越えることができるものに変わりました。では、どう変わったのでしょうか。
これは先ほどの写真フェイズで探索中の写真を撮りながら、どんなキーワード・下位コンセプトが出ているのかをまとめたものです。驚きありというのは、発話の中で「何これ」や感嘆詞など、自分でも予測しなかったようなものや、「これは駄目だ」という否定的なものをピックアップしたものです。
写真17は、篠原さんが撮った写真の中で一番大きな驚きがあったものです。それまでは、こちらと向こうが隔たれる壁などの写真を撮りながら、ボーダーについてアイディアを探索していました。これもボーダーだと撮影した後によく見ると、この写真に写る葉っぱは向こうからこちらへはみ出しています。手前と奥は隔てられないから、ボーダーには当てはまらない、と1回データを消そうとしたけれど、思い留まりました。そして、以前にも似たようなものがあったと思い返すと、バスルームの擦りガラスの写真のように、相手を遮るものでも、見えたり見えなかったりするものもあることに気づきました。
さらに、ある朝起きて、自分の食器をポンと置いたら、その水の雫が下にポチャンと落ちたんですね。それを見て、このネットは葉っぱが付き出していたネットと同じ形状だと発見しました。この水の場合は、完全に向こう側に落ちています。それで、ボーダーには突き出しだけではなく、通り抜けもできるということに驚いたのです。
類似性という観点から着目すると、初めは偶然撮れたものでも、それについてよく考えながらその後も色々なものを撮っていったことで、ボーダーの制約が緩んだということです。例えば、小川から撮った写真の水の表面ではノイズによって底が見えたり見えなかったりする様子に、神社の木の写真では根っこが砂の地面から飛び出ている様子に出会いました。次第にボーダーはこちらと向こうを絶対に隔てないと駄目という思い込みが解かれてき、その結果、下位コンセプトに「ボーダーを通過する」ということが出てきました。
熟達者であればあるほど、何らかの制約が強く働いているけれども、自分でその制約の存在を理解しています。偶然出会った事柄からを活かして、類推や驚きなど、複数の認知でそのコントロールを外し、新しいコンセプトを生み出すに至ったという話です。
これで、作品制作における二つの研究の紹介は終了したいと思います。
目に見えないテクスチャを認知レベルで掴みとる
これから簡単なワークをやって、それを皆さんと共有して議論したいと思います。皆さんの机の上にコピー用紙と2B、3Bの鉛筆が置いてあると思います。それを使って、皆さんの周りで取得できるテクスチャーを作る「フロッタージュ」という手法を体験してもらいたいと思います。これは一度、自分たちの体験を相対化するためのワークです。難しい技術も何もいりません。
ポイントは1つだけで、それは鉛筆を文字を書くときとは異なり、横に倒して持って、鉛筆の芯の腹の部分を使うことです。普通人間は見たものを見た通り捉えますが、触感で捉えてみたらどうなのか。椅子やテーブル、壁など、身の回りのものも触ってみるとざらつきがあったりします。そういうものを探ってみてください。そして、A4のコピー用紙に何種類か作ってみましょう。触ってみて面白い質感を探るという感じですね。
皆さん、集まりましたでしょうか? そろそろテーブルにお戻りいただけますか。同じテーブルの方とお互いに見せ合って比較してみたりしてください。 同じ教室の中で同じ材料を使っても、かなり違うイメージが立ち上がってきたのではないかと思います。
次に、フロッタージュをしていたときの自分は環境とどう向き合っていたのかを振り返ってみてください。例えば、壁に対して立ち上がってやったというようなことを振り返り、共有してみましょう。初めは鉛筆で質感をすくい取る感じで作っていたと思いますが、自分と環境との探索の仕方はどうだったのかを捉えて、グループごとに話し合った結果を共有していただけますか。
参加者:同じ壁をとっても、濃淡の違いなど、全く異なるものが出てきたことが面白いなと思いました。お互い無意識でやったことの結果がだいぶ違うように思いました。
参加者:普段注目しないところに注目しました。グループでは、掴むものには段差がついているから、深いテクスチャーを出したいときに、無意識に掴むものを使うという話になりました。掴む部分は摩擦力を高めるためにギザギザしているという気づきがありました。
普段そういったことに注目しないですもんね。
参加者:基本的にみんな周りを見渡して凹凸を探しに行くということをしていたのですが、その着目した先が違って、凹凸の高低差がかなり高いスイッチなどを使った人と、反対に細かい凹凸を探してやった人がいました。凹凸の細かさに着目して、ニットを試しにやってみたら、柔らかすぎてテクスチャが出なかったこともありました。
ありがとうございます。こちらのグループは全体の環境を見渡して探りに行きました。同じものを直接探りに行き、そこで違いが出たというグループもありました。 環境との向き合い方、探索の仕方には色々なタイプがあると思います。その異なる観点がすごく面白いと思います。
参加者:私は身近な充電ケーブルやペットボトルなどを使いました。世の中に溢れているプロダクトはある程度デザインが考えられていて、視覚的にもすごく綺麗に見えるようにデザインされているので、それを写しとることで、あたかも自分が綺麗なイメージを描いたかのように出来上がっていくのが面白いね、ということをグループで総括しました。
高木:こちらのグループは、身近にあるものから色々と探索したところ、既にデザイン的に完成度が高いものから、完成度が高いフロッタージュができたのですね。オブジェクトの後シェイプがカチッとはまったところが面白いですね。ありがとうございます。
参加者:私ともう一人は漠然とやって、途中で飽きてきてしまいました。一方で残りの二人は、ルールを自分なりに決めて、楽しんでやっていました。自分の身の回りのものでやるということと、フロッタージュで顔を作るということです。
せっかくフロッタージュで色々な材質のものを表面に起こすということなので、それを組み合わせて1枚の絵ができたら面白いと思い、顔のデッサンの部分に合う質感を、自分なりに手触りで追いかけていくというルールで作りました。
高木:楽しいからどんどん次に行ったというお話しもありましたね。一方で飽きちゃった人もいました。楽しめた方は、具体的にどのような点が楽しかったですか。
参加者:想像していた形と違うものが出てきて、こんな形になるんだという発見によって、次も違う素材でやってみたいという気持ちになりました。
高木:ある程度予測して、こういう作戦でやろうと決めた人と、出合ったものに面白さを感じる人、これも想定していなかった驚きの一つですよね。出合い方の違いとして、非常にユニークですね。
参加者:ボコボコしていそうなものなど、質感を探すセンサーの目になりました。また、壁紙のような優しい素材、柔らかそうな素材でやったときは、それに影響されたのか、直線よりも丸を描きたいというふうに自然に動作が変わりました。
高木:柔らかいものを使うときに、相手の出方を見て、こちらの動作が変わっていくというインタラクションがあったわけですね。このような繰り返しの中での変化については、先ほどのジェネプロアモデルの説明でも述べたように、はじめ生成されたものを解釈して「ずらし」を加えたということです。今度は円の形で鉛筆を動かしてみよう、また次のところはこういうふうにやってみよう、というように、創造の繰り返しの作用で探索が進んだという捉え方もできますね。
参加者:私は探索の中で二つの変化が現れたと思いました。まずは、探す範囲の変化です。最初は自分の身近なところで探していて、なかなかうまくテクスチャーが出なかったので、次は遠くに行って、壁などを探しました。最後に、また自分の席に戻って身の回りを見渡したときに、意外と近くにも素材があったことを遠くに行ったことで気づけたということです。
もう一つは、対象との普段の向き合い方との違いです。カバンの質感について普段は触って確かめることはしないけれど、フロッタージュを通じて異なる向き合い方にあえてチャレンジすることで、カバンを注意深く触るような、普段とは違う行動が生まれたという感想が出ました。
高木:ありがとうございます。普段は持ち物を目で捉えて認知しているけれど、このワークではその表面のテクスチャーはどうなのか探ってみたというように、対象物への別角度からの向き合い方が生まれたのだと思います。ワークが始まったらすぐに教室の外の壁へ行ったり、しゃがんで床を使ったりと、色々な身体の使い方で皆さんの探索が進んでいる様子が見受けられました。
さて、ワークの最後に、スマートフォンで自分が作ったフロッタージュのどの部分でも構いませんので、一番気に入った箇所を撮影してください。撮影できたら、その写真を待ち受け画面に設定してください。機種によっては、時計が表示される人もいると思いますが、その場合はその時計に合わせて絵柄の位置を変えたり、拡大縮小したりして調整してみてください。設定できたら、グループ内でお互いに見せ合ってみましょう。
今日は簡単なフロッタージュのワークと、それをスマートフォンで撮影して、待ち受け画面に設定してもらうということを短時間でやってもらいました。
これは外界の探索です。ドローイングではなく今回はフロッタージュを使いましたが、この間には身体活動が入ります。そして、ここでは知覚と行為のサイクルが回っています。先ほどの感想にもあった、面白いから次もやってみたとか、対象の質感が柔らかかったので、鉛筆の動かし方を丸くしてみたというようなことです。このサイクルが活性化されると、時間の中で何らかの変化が作用し思わぬ「ずれ」が生じて、また次のアイディアや探索に利用されます。
「ずらし」にはいくつかの方法がありますが、今回は道具の「ずらし」をやりました。今回のワークでは、初めは鉛筆で対象物のフロッタージュをやったものを、さらにスマートフォンで撮影する、つまり動画を改変したわけですね。それまで1枚の紙として捉えていたものを、待ち受け画面というフレームの中に入れてみました。それによって、自分が作ったものに対する異なる視点が、ある種の思考の「ずらし」になります。
詳細については割愛しますが、今日体験していただいたことは、日々アーティストがやっている外界との向き合い方です。自分がこれまでに接していないような身体と世界の出合い方についての簡単なワークでした。また、道具を変えたり、そのフレーミング、見方を変えてみたりするということを体験していただきました。
自己の探索とその作用に意識的になる
残りの時間はディスカッションとさせていただければと思います。今日ここまでのレクチャーやワークを踏まえて、何か質問やコメントがあればお願いします。
参加者:商品企画をやっています。芸術やデザインには大学生の頃から興味があるのですが、高校生以前には一度もこのような思考プロセスについての細かい説明を受けたことがありませんでした。美大や芸大では、このような考え方は皆さん教わるものなのでしょうか。
また、人それぞれに異なるやり方があるのかなと想像しています。この創造プロセスは、いくつかの事例から再現性があるところを出したものなのか、またはこれは一例で、別のアーティストの方は全く異なるプロセスをとっている前提なのかでいうといかがでしょうか。
高木:まず、美大・芸大でこのような創作の認知過程の授業があるかどうかについては、私はそこでは教鞭をとっていませんが、今日の参加者の中にいらっしゃる、認知学会でお会いした女子美術大学の方は、関連する内容を学生へ教えていらっしゃるそうです。そのため、全くないということはないのではないかと思いますが、私が東京ビエンナーレなどで本日の内容に近いレクチャーをした際には、芸大の学生たちが行列をなしていました。感想では、自分の創造プロセスをメタに知ることができて、自分の振り返りになったという内容を多くいただきました。だから、ここまで細かい研究はまだなかなかないのかもしれません。このような話をすることで、特に創作者にとっての悩みや問題解決の一路になることがあるのではないかと思いました。
また、今日ご紹介した篠原猛史さんというアーティストの創作プロセスの研究は、ケーススタディといいます。1000人のアーティストを対象にこの研究をやるのは非常に難易度が高いです。そのため、1人のアーティストに対してできるだけ綿密にインタビューを行い、そして分析を細かく見ることで、よりユニバーサルな、つまり篠原さんだけに生じることではなく、他のアーティストにも生じるであろうプロセスを抜き出したと我々は捉えています。
参加者:篠原さんの制作プロセスを追う過程で、発話からコンセプトの言語化について中心に分析されていて、言語を創作プロセスにおいてどのように位置づけられているか気になりました。コンセプトは言語化しなければならないのでしょうか。また、個人的には言語からビジュアルに落とし込むまでの間にも少し乖離があるように感じていて、そこに認知があるのかなとぼーっと考えました。先生の中で、言語が創作プロセスにおいてどういう位置づけなのか、あるいは言語と作品の間の関係性、言語は必要なのかというところについてお考えをお聞きしたいなと思いました。
高木:発話分析に実態と乖離があるのかどうかという質問でよろしいでしょうか?
参加者:まずは発話を分析対象として選んだ理由が知りたいです。
高木:この研究には、発話だけではなく、ドローイングや写真、立体的な作品や、メモ書きのような記述までが含まれています。それと同時に、発話に関しては、篠原さんに対して、前回のインタビューから今回までの間に何が起きたか、作ったものは何で、それについてどう思うか、という半構造化したインタビューをしています。そのため、篠原さん自身が創作プロセスにおいて実際に感じていることが、少なからずその中にすくい取られているのではないかと考えています。例えば、探索の初期のドローイングフェイズでは悩みすぎてしまって、シャワーを浴びたときに2回シャンプーしてしまったとか、途中で風邪をひいてしまったとか、かなりアップダウンの様子が記録から見受けられました。
もちろん、言語化されていない部分もたくさんあります。写真フェイズの中で、ネットの向こうから葉っぱが出てきた写真がありましたよね。この写真を通じた発見も今回の作品創作にとって非常に重要ですが、一番大きな発見がありました。それは、篠原さんが風邪をひいて病院に行ったときのことです。病院で流れていたテレビのチャンネルが合っておらず、砂嵐状態でした。その状態をしばらく見続けていると、人の形が二つ見えて、またしばらくすると、それが変わりました。そのタイミングは15分に1回、つまりCMが定期的に流れているから民法番組で、この時間であの人型だったらこの番組ではないか…と、どんどん推論が続きました。その体験によって、見えないようなボーダーでも、何らかのキーがあり、その向こう側に行けるという「ホワイトノイズ」の発見に結びつきました。そこにたどり着くまでの間に、根っこの写真や水の表面の写真、葉っぱの写真など、いくつかの探索が合ったからこその発見だと思います。
彼自身も、この研究を見て、自分の日記を読んでいるようだと言っていました。しかし、葉っぱの写真を撮ったことは覚えていても、それを重要なものだとは思っていなかったそうです。病院のテレビへの衝撃的な気づきからすぐに創作に入ったため、その前に起きたことがマスクされてしまっているのです。つまり、彼の記憶の中では重要度が下がってしまっていました。そういうことの重要性を明らかにする研究でもあると思います。
創造性プロセスの他領域への展開の可能性
参加者:「ずらし」や類似性の話を伺って、お笑いの構造にも近しいものがあるのかもしれないと思いました。先生の構想では、現代美術の範囲だけではなく、他の創作活動全般にも適用できるような例があるのかどうか、お聞かせ願えればと思います。
高木:学会発表の際に、異なるジャンルの方から、このプロセスは科学の発見にも適用できるという意見を多くいただきます。数式解のようなものではなく、パラダイムシフトが起きるなど常識がひっくり返るような発見には、まさにこのプロセスがそのまま適用されるのではないかという意見です。そのため、このプロセスは他の創造活動にもユニバーサルに適合できる可能性があるのではないかと考えています。
参加者:このケーススタディのアーティストさんのプロセスを明らかにする過程の中で、ヒアリングなどがある種の介入行為になりうるのではないかという懸念があり、もしその点をなくすような工夫があれば、お伺いしたいです。
高木:それはよく問題視される部分です。今回紹介した研究は、元々は全く違う研究のためのインタビューでしたが、膨大な発話量や、かなり込み入った内容であることが原因でお蔵入りした例だったんです。そこで、私が別の目的でこのプロセスを見ようと解析し始めました。今とっているインタビューでは、やはり私自身もある意図を持ってインタビューを構成して話を伺っているため、何らかの介入となってしまうということは認識しています。できる限りそれを避けるために、質問の仕方に注意しています。ただ、それを全て介入の影響を排除するとなると、生体指標や日記法など、方法はいくつかありますが何らかの制約があることは確かです。これからもっと新しい技術が開発されると、創造のコアな部分に迫れるのではないかと考えています。
参加者:僕も美術学部の出身で、非常に共感を持ってお伺いすることができました。バルター・ベンヤミンが複製技術時代の芸術の論考における、美術作品の価値自体、現代アートが基礎となっているような展示的な価値と、作品鑑賞の一回性を重視する例外的な価値への二分には、僕も共感しています。先ほど、質問のご回答の中で、現代アートや作品の創造行為において、このプロセスに関してユニバーサルに適合できる可能性が示されましたが、長い期間の中で見て、例外的な価値を重んじていた時代にも同じように適合できるのかについて、どうお考えですか。
高木:こちらの創作プロセスはあくまで現代美術のコンテンポラリーアーティストについて検討したものであり、古典とはかなり違うと思います。古典は、その時代の権力者や宗教的な対象などを描くという内容の制約、方法論の制約があります。そういった中では、新しいものの探索や、これまでにないものを生み出すという創造性に関する心理的なスタンスも方法も異なると考えます。そのため、私はこのプロセスは古典においてはそのままでは適合しないのではないかと考えていますが、まだその点は今後の検討が必要と思われます。
筧:CDF006は以上とさせていただきます。今日は高木先生、貴重なお話とワークをありがとうございました。
高木:こちらこそありがとうございました。