インクルーシブな対話や実践はどのように生まれる? デザインとアートの両面から|『TECH BIAS -テクノロジーはバイアスを解決できるのか?』トークイベント:第2部レポート
東京大学とソニーグループ株式会社による「越境的未来共創社会連携講座(通称:Creative Futurists Initiative、以下CFI)」では、10ヶ月間にわたる講座内の実践研究プロジェクトの成果発表展として、2024年11月23~25日の3日間、東京大学本郷キャンパスにおいて、テクノロジーを取り巻くバイアス「Tech Bias(テックバイアス)」をテーマにした展示を開催しました。その関連イベントとして行われたトークの第二部では、ソニーグループ株式会社 サステナビリティ推進部 アクセシビリティ&インクルージョングループ ゼネラルマネジャーの西川文氏とアーティストの布施琳太郎氏を迎え、西川氏の取り組むインクルーシブデザインというキーワードを軸にしながら、テクノロジーとともにバイアスを解決していくプロセスあるいは付き合い方について意見が交わされました。
(※) 記事中の所属・役職等は取材当時のもの
TEXT: Nanami Sudo
PHOTOGRAPH: Kaori Nishida
PRODUCTION: VOLOCITEE Inc.
制約からの発想が新たな価値をもたらす
司会・田中東子(以下、田中):ご登壇のお二方には、自己紹介を兼ねて、これまでの活動についてのご紹介をいただきたいと思います。それから、展示で作品を見ていただいた感想もいただければと思っております。
それではまず一人目のご登壇者の紹介です。ソニーグループ株式会社サステナビリティ推進部、アクセシビリティ&インクルージョングループ ゼネラルマネジャーの西川文様です。よろしくお願いいたします。
西川文(以下、西川):皆さんこんにちは。改めまして、西川文と申します。ソニーグループ株式会社のサステナビリティ推進部にアクセシビリティ&インクルージョングループがあり、そちらのゼネラルマネジャーとして統括しております。アクセシビリティの話題を絡めながら、自己紹介させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
私は人間中心設計専門家として活動する傍ら、自らリサーチャーとしても活動してきました。その一環で、多様なユーザーと接する機会があり、その中には障がいのある方や高齢の方々もいらっしゃいます。今はアクセシビリティ、インクルーシブデザインにより注力して、サステナビリティの一環として取り組んでいます。

ここから、ソニーグループのアクセシビリティの推進体制についてご紹介したいと思います。ソニーグループでは、主要6事業を展開しております。具体的には、ゲーム&ネットワークサービス、音楽、映画、エンタテインメント・テクノロジー&サービス、イメージング&センシング・ソリューション、そして保険を含む金融事業など、多岐にわたります。
それらを横断してアクセシビリティを推進します。ソニーグループ行動規範でアクセシビリティは次のように定められています。年齢や障がいなど、個人の特性や能力、環境に関わらず、商品やサービス、エンタテインメントを利用できるというものです。
日本でアクセシビリティというと、障がい者、高齢者対応というふうに言われがちです。たしかに、常時制約を抱えているのは、障がい者、高齢者が挙げられるかもしれませんが、誰しもが一時的に何らかの制約を受けてしまう可能性があります。例えば、怪我や妊娠、子どもができてベビーカーを使うことなどです。さらに日常的には、荷物や傘で手が塞がる、などの条件依存によって何らかの制約を受けています。そう考えると、アクセシビリティというのは障がい者、高齢者の方に限りません。ソニーは全ての人に必要なものとしてアクセシビリティを推進しています。

このような推進が実際に実を結んできており、こちらがその一例です。昨年12月に発売になった、PlayStation®5用の「Accessコントローラー」を筆頭に、世界に2.5億人いると言われているロービジョンの方の見えづらいを見えるに変える網膜投影カメラキットが開発されています。他にも、業界初の音声読み上げ機能搭載の一眼カメラもあります。
ソニーでは音楽弱者に対しても音楽を楽しんでいただきたいということで、音を振動や光で伝えることで、聴覚の有無に関わらず楽しめる「ハグドラム」という製品も開発しています。
また、アクセシビリティは必ずしも一社で取り組むものではないため、進化を加速させるために他の会社や事業団体と協力することもあります。
業界初の障がいのある声優たちで構成された「ループグループ」の立ち上げの支援も行なっています。実際にスパイダーマンのアニメーション映画に、このグループから声優として抜擢された事例もあります。
このようなアクセシビリティの進化を支えているのは、インクルーシブデザインです。ソニーグループでは、アクセシビリティを特に必要とする高齢者や障がい者などに、制約があるユーザーとして企画・設計・開発段階から参加してもらい、商品・サービス・体験を一緒に検討するインクルーシブデザインを実践しています。
インクルーシブデザインは高齢者、障がい者の方に限らず、デザインプロセスから無意識のうちに除外されがちな様々なマイノリティをインクルードして開発していくという方法ですが、ここで高齢者、障がい者と特筆しているのは、製品設計を考える上で、より日常的に制約を受けていると捉えているからです。2023年のサステナビリティ説明会では、対外的にインクルーシブデザインのプロセスを2025年度までに商品化プロセスへ導入していくということを宣言しました。

次に、インクルーシブデザインのメリットについてご紹介します。こちらの図では、二つの同じような人口分布を示しております。左側は、従来型の障がい者・高齢者への配慮を示しており、「メインストリーム」と言われる多数派ユーザーが使えるものを、制約のあるユーザーにも使えるようにしていくというようなインサイドアウトのアプローチがとられます。
この考え方自体は重要なものであり、外すことはできません。加えて、これにインクルーシブデザインを行うことで、今までデザインプロセスにおいて除外されがちだった制約のあるユーザーにしっかり目を向けて、この方々の視点を借りて、見過ごしている潜在的な価値を炙り出すことができます。制約のあるユーザーに磨かれた本質的な要求や課題は、制約のあるユーザーだけではなく、メインストリームにも新しい価値をもたらします。

概念的な話のため、野球観戦の事例からアクセシビリティとインクルーシブデザインを考察したいと思います。こちらには、三つの野球観戦の図があります。左側の現状では、塀があり、その手前から三人の人がスタジアムの方を見ていますが、野球を見ることができるのは塀の上から頭を出せる背の高い人だけです。これが、まだアクセシビリティが担保されていない現状において起こっていることだと思います。続いて、真ん中のようにアクセシビリティが担保されると、それぞれの人に適切な台が提供されることによって、背の低い人も塀の上から同じように野球観戦ができます。それらに対して、右側のインクルーシブデザインはどうかというと、制約のある人の視点を借りることで、上から見ることだけが野球観戦ではないことに気づきます。背の低い人に合わせて塀に穴をあけると、背の高い人にとってもローアングルから新しい迫力のある見方を提供することが可能になります。
このような考え方から、ソニーはインクルーシブデザインを推進しています。実際にインクルーシブデザインから、誰もがが日常的に使うキーボード、字幕などが生まれています。
ソニーグループでは、インクルーシブデザインで次なるイノベーションを起こしたいと考えています。我々は「誰もが感動を分かち合える未来を、イノベーションの力で」と掲げ、多様な事業に共通して、このメッセージの実現を目指して活動しています。
田中:ありがとうございます。作品の感想は、後ほどアイスブレイク的に伺えればと思います。
容易につながる社会で孤独や二人の在り方を表現する
田中:続きまして、アーティストで批評家の布施林太郎さんからも自己紹介をお願いします。
布施琳太郎(以下、布施):布施林太郎と申します。アーティストとして活動しています。今日登壇している中では、自分が一番外から関わりながらお話しさせてもらうと思います。自分は東京藝術大学在籍中から作家活動を開始して、雑誌や文書の発表をしたり、美術館などで作品を発表したり、自分で会場を押さえて展覧会の自主企画を作ったりなどしてきました。
スマートフォンが発売して以降の都市において、何もかもが繋げられてしまう中で、孤独や二人でいるということに、むしろポジティブな価値があるのではないかと考え、そのような世界を描いた詩や事例を集めた批評を執筆した上で、それを映像作品にするという活動をしてきました。まずは自分の活動を振り返りながら自己紹介をしていきたいと思います。

こちらは今年3月〜5月に、上野の国立西洋美術館に出展させていただいた作品です。西洋美術館という場所は、これまで存命作家を取り扱わない美術館だったのですが、そこでリアルタイムを生きる作家の作品を通じて、西武美術館の歴史や、美術館とは何か、コレクション作品の価値とは何か、あるいはよくないところというのを、総勢約20組で検証するという企画でした。僕は、世界遺産にも登録されているル・コルビジェの建築物を、人間以外の視線で見てみると、どんなふうにバラバラになって、どんな視界が広がるんだろうということを考えた作品を作りました。

また、冒頭で批評家ともご紹介していただいたように、本を出したりもしています。左は昨年出した批評の本で、『ラブレターの書き方』というタイトルです。技術社会の中で、自分がどのような人生を生きてきて、何を感じ、何に傷ついたのかという自分の話と、もう一方では社会の中で語られる問題とがあります。どちらの表現にも価値があると思いますが、もうこの二つだけしか語り方はないのだろうかと思い、ラブレターのように二人の間で、自分の思いを書き、相手はこんなことを言われたら嬉しいかもしれない、などと考えながら行われてきた文学や藝術もあったはずだけれど、その歴史は全然辿られてきていないというところを起点にしています。右は詩集です。

こちらは具体的な作品例で一番わかりやすいと思うのですが、Webページが本体の作品です。コロナウイルスの感染拡大が始まったとき、2020年の4月末に発表したオンライン展覧会です。パンデミックでみんなが家にいるからこそ、ディスプレイを通じていろんなニュースが流れ込んできて、誰かと繋がらないという時間を過ごせないというとき、インターネットの中にたった一人しかアクセスできないWebサイトを作りました。そこでは一遍の詩が読めるようになっています。誰かがアクセスしている時は、作家である僕自身もそのページに入れなくなります。先ほどのラブレターの話にも通じますが、今ある社会の中で当たり前になってることや、息苦しくなっていることからの視点でこのような空間を作りました。

絵を描くこともあり、こちらはネットで知り合った、会ったことがない知人友人たちの顔をスプレーで描いたものです。近づくとペイントが垂れてしまい、遠ざかるとボケてしまうイメージのプロセスが僕にとってのネットごしの人間関係と近いなと思い作りました。本日の自分の活動の紹介としては、以上にしたいと思います。
自分ごと化から本質的な課題をあぶり出す
田中:布施さんがこのイベントから一番遠いというのは言い得て妙でして、実は西川さんには今回のプロジェクトのプロセスに関わっていただいていました。4月に西川さんからレクチャーいただき、その内容も手がかりにしながら作品を作っていったというプロセスがあります。
そういう意味では、お二人からは全く違う感想が出てくるのかなと思います。まず西川さん、今回発表された作品をご覧になっていかがでしょうか?
西川:すごく共感を求められるような、引き込まれる作品ばかりでよかったなと思います。一度ディスカッションでCFIの皆さんにお会いしたとき、インクルーシブデザインについてもいくつかご紹介した中で、自分ごと化するというお話をさせていただきました。インクルーシブデザインの成功の秘訣は、まず第一に今まで除外されてきた方々をしっかりと見つめることで、制約からの気づきを得る事です。

こちらの三つのプロセスにおいてまず重要なのは、ユーザーを見るということです。インクルーシブデザインを進めるときに、印象的な課題が出てくると、すぐ解決したくなり、真ん中のステップを飛ばして、一番右側の課題解決のステップに行こうとしてしまいます。ただし急いでこれをしてしまうと、福祉によった製品になりがちです。汎用性が欠如してしまい、結局はビジネスとして長く続けられなくなってしまって、当事者の人に継続して提供できなくなります。
そうならないために、自分ごと化することが重要です。そのときに、皆さんとの議論の中で、そうは言っても自分ごと化すること自体がバイアスではないか、それさえもマジョリティー側の考え方ではないかという課題をいただきました。この点においては、例えば実際に視覚障がい者のように目が見えなくなったらどうかということを考えるというよりも、より本質的な課題を見つけるために、上位概念を見つけるプロセスを挟まなければ、結局解決も本質的な解決に向けて進まないと思います。それを自分ごとというように表しています。そしてそして、何が本質的な課題なのかを探るときに一番重要なのは、できないことではなく、本来何をしたいのかのアスピレーション(願望)です。現状の障壁がなくなったら、どういう世界を描きたいのかというところに対してイメージしていくというプロセスが大切で、皆さんとディスカッションを経た後に、改めて今日の発表を見させていただいて、その方向性へと向かっているんだなと感じました。
田中:ありがとうございます。布施さんはいかがでしょうか?
布施:自分自身が普段見ているいわゆるアートの展示とは全く印象が違いました。だからこそ得られるインスピレーションがあるなと思いながら見ていました。すごく練られた作品成果物が並んでいると思いました。
美術をやっていると、どうしても普遍性のような、どんな地域、どんな時代、どんな人にも感動や思想が伝えられるような枠組み、伝えられる状態になることを一つの達成だと思ってしまうときがあるのですが、まさに先ほどのインクルーシブデザインの山型の図を連想しました。それに当てはめるならば、その普遍性は両サイドにいる方々には見えません。例えば、素晴らしい絵画も視覚障がい者の方から見ると全く違う構図の絵に見えることがあります。しかし、人によって体の形や見えてるものが異なったとしても、作られたものを一つの共通の話題にして、色々な人たちが対話できる場になっているのかなと思いました。自分も体験したくなるし、他の人たちが体験してるのを見ながら、どんな話をしてるのか知りたくなるような、そんな展示でした。
田中:ありがとうございます。西川さんのインクルーシブデザインのお話へも繋げていただきましたが、今回のお二人のご登壇者はこのプロジェクトに内から関わってくださった方と今日初めて見ていただいた外の方ということの他に、企業で製品を作っていらっしゃる方とアート作品を作っていらっしゃる方という対比やジェンダーもあり、バランスがすごく面白いなとお話を伺っていて思いました。

強制的イノベーションの仕組みと思考力

田中:次に、インクルーシブデザインについて、西川さんと布施さんそれぞれの立場からお話をお伺いしたいと思います。西川さんのお話にあった、ユーザー属性の人口分布における制約のあるユーザーを排除するメインストリームとは、布施さんがおっしゃっていた普遍性がある種の人たちを排除するというところで言うと、排除型のもの作りなのかなと感じました。
それに対して、インクルーシブデザインのように、メインストリームの中に、これまで排除されていた、制約のあるユーザーの方たちを一緒に巻き込みながら商品設計を行うというところの二つは、全く違う発想だと思います。このインクルーシブな設計が、既存のデザインに何かを追加するということではなく、新たなデザイン設計や思考をイノベーションすることに繋がるのでしょうか。その辺りについて、もし事例も含めてお話いただけることがあれば、お願いします。
西川:ソニーでは、定期的にインクルーシブデザインのワークショップを実施していて、役員から社員まで、累積2,000人以上が参加しています。アンケートでは、99.8%が有益であると回答しています。その理由を深掘りしていく中で、商品開発に携わる社員が言っていたことが言い得て妙でしたので紹介したいと思います。関係者で1年間議論を重ねてきたけれども、このワークショップで当事者の方と1時間議論した方が、ずっと良いアイディアが出たということでした。そのような意見からも、同質性があり、同じような仕事をしている人だけでは開かない発想があるのに対して、インクルーシブデザインで新しいものを内に取り入れることで半ば強制的に発想させることができます。
加えて、ここではメインストリームとまとめていますが、実は完璧に平均的な人というのは存在しません。『平均思考は捨てなさい』というハーバード大学教育大学院の心理学者が書いた本があります。1940年代のアメリカの空軍では事故が多発していて、それを解決するために、パイロットの身体的特性を調査して平均値を見てみたところ、4,000人以上のうち、主要10項目全ての平均値の範囲内に当てはまる人は一人もいなかったそうです。結局、平均値を取ったコックピットの席を作るのではなく、アジャスタブルなシートを開発したというイノベーションによって、事故が激変したそうです。このように、最初から多様性を包含した設計思想というのが非常に重要になってきます。
田中:ありがとうございます。布施さんにはインクルーシブデザイン、もしくはメインストリームが持つ無意識のバイアスへの批評的な観点もあれば、具体的にお伺いしたいです。
布施:ここまでわかりやすくインクルーシブデザインという言葉について触れたのは初めてです。このお話は、自分が自分でない身体を具体的に想像して、そこからアイディアを出していくことによって、強制的にイノベーションを発動させるというようにも受け取れました。確かにそれはすごい面白い取り組みだと思う一方で、人の思考そのものを活性化させるような部分に、本物の強みがあるのではないかとも感じました。
というのも、技術は20世紀から言葉の力によって大きく変わってきたと思うのですが、近年の芸術祭だと、生の身体を提示する、いわゆるパフォーマンスがよく見られます。中には会期中に何十日間も連続でパフォーマンスするという鬼のようなプログラムもあります。僕が5年ほど前に岡山で見た、ティノ・セーガルというアーティストの《アン・リー》という作品では、3DCGのアニメーションで、定期的に小学校4年生くらいの女の子が出てきて、「複数性についてどう思う?」などと哲学的なことを話し出します。この作品では日常ではありえない複雑な問いを小学生にされるように、アートの面白い瞬間というのは、社会の中で、予期せぬ出来事を現実に起こすことにあるのかなと思います。そこまで行ったときに出てくるのは、フランツ・カフカの『変身』にもあるように、人であることを超えることにあると思います。自分でない身体を自分ごと化する、拡張するようなものを探しに美術館に行くのはいいものだなと思っています。
異なる誰かの立場に立つのは暴力的?

田中:自分ごとのように考えるというのは、とても大事なコンセプト・キーワードである反面、今回のプロジェクトを通じて、やや暴力的な側面もあるかもしれないと感じることもありました。「Tech Bias」の初年度の裏テーマには、ジェンダーや責任などがあり、途中経過のグループ発表の中には、もしかすると、フェミニズムの方向へ向かってしまうかもしれないと感じるものもあったのですが、今日の4グループの発表を聞くと、どのチームも通底して、自分ごとに戻ってきたなと感じました。自分ごととして考えた、というよりは、他者とのぶつかり合いやコンフリクトといった過程も、メインストリームを開いていく上で大事なことなのだと、お話を伺っていて感じました。
西川:先ほどソニーの戸村も話していましたが、一概にインクルーシブと言っても心地よいものではありません。最初は非常に居心地が悪いものを、異を受け入れたり、自分からアンコンフォートゾーンに入っていったりと、何らかの障壁に真剣に向き合うことが大切だと思います。なかなか人間というのは衝突しないもので、同質性のもとで集まり、平和的解決をする生き物です。その中で、あえて異質なものに交わりぶつかり合うところに、爆発的なイノベーションが潜んでいるのだと思います。
田中:製品開発やインクルーシブデザインの追求の中で、そのようなぶつかり合いから、何か新しい価値やイノベーションが生まれたことはありますか?
西川:先ほどのお話にもありましたが、特権がある状態で俯瞰して見ているだけだと受け入れやすいけれど、いざその特権を取り上げられたときがショッキングだと感じます。
一例として字幕を挙げると、字幕は今ではだいぶ自動生成で作られるようになり、聴覚障がい者の方が手元でアプリなどを使って、音声を文字化して理解しようとすることができます。しかし、テクノロジーが追いつかず、誤変換もまだ多く発生しています。それに対して、弊社のエンジニアは、誤変換の問題を聴覚障がい者だけに強いるのではなく、話す側が正しく変換されるように意識して話せば良いのではないかという試みをしました。つまり、話している人に自動生成される字幕を見せて、自分の発話が誤変換されていることに気づいてもらうんです。すると、自分の話が違う意味に伝わっていることがわかって恥ずかしくなり、慌ててしまいます。そこで、ある意味では平等性が生まれます。それまで私は、ある優位性の中で、障がいのある方に様々なテクノロジーを駆使してもらい、メインストリームに入ってもらうことばかりを考えていました。しかし、彼らの提案によって、こんな考え方があったのかと反省させられました。
田中:特権性を奪われたとき、平静ではいられなくなる瞬間というのは多くあるかもしれませんね。しかし、イノベーションのためにはあえてその道を選ばなければならないこともあるのかなと思います。
不完全だからこそ集えるきっかけ

田中:布施さんは、アート的発想で商品開発におけるイノベーションを置き換えたり、翻訳したりするならば、どう考えますか?
布施:特権の有無の関係よりも、もう少しその上下関係や対立関係からずれたところにある、マイナーなものや出来事、見方を探すことから、何かを着想することは多いです。例えば「のらきゃっと」という名前で黎明期から活動されているバーチャルYouTuberの方がいて、見た目は女性だけれど中身は男性です。男性が喋った声を一度文字起こしして、それを自動読み上げツールで女性の声で読み上げさせて、二回変換するためミスが多く発生します。そして、それがかわいらしさとして受け止められているんです。さらに、この変換のタイムラグに合わせて自分の体をスクリーンに向けて、女性的な振る舞いを演じていて、これはすごくマイナーな遊びだと思います。もしのらきゃっとさんがもっといいPCで、もっといい読み上げツールを使えばいいのかというと、おそらくそうではありません。そのままだからこそ生まれたコミュニティがあるのではないかと思います。
そのような不自由さを解消できない人たちが、できないままに集まることを大事にしたいと思います。未来の人にとっても参照できるようなきっかけや入り口をいかに作れるかというのが、美術の世界でインディペンデントに社会人をやっている上で、常に大事な仕事であると感じました。
田中:なるほど、ありがとうございます。次に繋がりそうなお話をいただいたなと思います。
布施さんのおっしゃる、不完全な人たちがそのままでいられるというのが、アート作品の一つのあり方としてあるのに対して、とかく世の中にはできることが良いことで、みんながそれをできるようになるのが良いことであるという価値観(エイブリズム)が蔓延しています。そのときに、できる人とできない人、アクセスが容易な人と困難な人という境界線が引かれて、その中に包摂される人と排除される人に分かれてしまうようなところがあると思います。
つまり、エイブリズム的な価値観が社会の中で蔓延してしまったことに対して、今回の中だとグループ2の作品がアクセシビリティの平等さについて考えるものであったように、できることの優位性をきちんと問い直すことで、排除の構造をようやく批判的に捉えられるのかなと思います。
社会に蔓延するエイブリズムへの応答

田中:ここで少し視点を変えて質問したいのですが、そのような社会の中に広がる価値観をひっくり返し、その価値自体を変化させていくようなイノベーションは起こせるのでしょうか。お二人のそれぞれの専門である商品開発や、アート活動を通じて可能なのかということについて伺いたいです。
西川:Tech Biasのメンバーへ一度共有した資料とともに、エイブリズムについて少しお話したいと思います。エイブリズムとは、能力のある人が優れているという考え方に基づく障がい者への差別や、社会的な偏見を指しています。
田中先生からもありましたように、今このエイブリズムが社会へ蔓延していて、多かれ少なかれ影響を受けざるを得ない状況にあります。例えば、英語が苦手な方がいらっしゃった時に、エイブリズムに基づくと、英語ができない=能力がないため、その仕事や学業はできないと切り捨ててしまうという考え方がベースにあります。私たちは、それに対抗する手段として、アクセシビリティがあると考えています。英語ができる/できないというのは、実は本質的な問題ではなく、その仕事に取り組みたいという興味が大切です。技術が進化している中で、アクセシビリティとして充実した翻訳機能を提供してしまえば、何の問題もないという構図になります。しかし、そこを惜しんだり、気づいていなかったりという状況が、まだ大きくあると思います。

ここに二つの図を用意します。左側はエイブリズムのもと、ふるいをかけてしまっている図です。我々ビジネスをする側は、ビジネスをする対象に対して興味の有無を見て判断しますが、さらに意図せずに能力があるかどうかでふるいをかけてしまい、対象となるユーザーの絶対数を減らしてしまうという問題です。一方で、アクセシビリティを提供すると、能力があるかどうかではなく、興味があるかどうかという点から、非常にハイエンゲージメントな方々を漏れなく対象にすることができます。つまり、アクセシビリティは、インクルーシブな社会貢献をするだけではなく、自分たちのビジネスを広げることができます。
田中:ありがとうございます。布施さんの先ほどの回答は、また全然異なる発想のように思います。

布施:能力がある/ないというのは、どのようなシチュエーションで言われるのかによって変わるのだろうと思います。おそらく今の現代美術では、能力のあるアーティストが最もコンパクトでシンプルな形で作品を提示して、それが買われて、美術館に展示されるというように、徹底的に能力がある人たちが、自分の能力に責任を取ろうとして、そういう仕事をしているという現状はあると思います。しかしそこでふるいにかけられた時に、複数のコミュニティが立ち上がってきたらいいなと思います。そうやって、世界が一つの尺度、一つの能力ではなく、能力があること自体も複数になり、色々な枠組みで、みんなが一つの方向を向かなくてもいいような社会の方が自分自身は好きです。
田中:ありがとうございます。
さらに付け加えると、人の気持ちや価値観だけではなく、社会的なシステムや時間の流れの速度など、転換することが非常に難しい構造的な決定のもとでの資本主義の論理が前提としてあります。そこにきちんと適合していくためには、能力がはめ込まれていく必要があります。言語や芸術の能力、スポーツの能力や身体的なできる/できないなども関係し、さらにはジェンダーや国籍などの広い要因も含めて、自分の意思や身体とは全く異なるところで、能力として確定されてしまうのが現代社会なのかなと思います。
布施:もちろん、差別や、人が勝手に追いやられたりするのは反対の考えです。
田中:商業は資本主義社会の中で、何かを変える最大の力を持っているものの一つなのかなと思います。商品が変わることによって、世の中の矛盾やエイブリズムの問題を変えていけるのであれば、それは見てみたいなと思います。また、今日は布施さんがたくさんのキーワードを挙げてくださいましたが、アートのもつ不完全さや一瞬の予期せぬ出来事などを表現する力がかけ合わされることによって、異なる社会の可能性が増えるといいのかなと思いました。
テクノロジーはバイアスを解決できるのか?

田中:さて、そろそろ締めたいと思います。今回のテーマにもある「TechBias テクノロジーはバイアスを解決できるのか?」という問いについて、それぞれの考えを聞かせていただきつつ、最後に締めの言葉もいただきたいと思います。
布施:このトークのお話をいただいたときからタイトルを拝見していて、初めはどんなプロジェクトなのか何も知らなかったので「テクノロジーでバイアスを解決する」ということに対して信じられない気持ちもありました。
なぜなら、バイアスは人間社会のことでもありますし、コンピューター然り、テクノロジーはバイアスの掛け合わせで発達してきたものだと思います。インターネットにしても、ディスプレイにしても、軍事用途で生まれたものが多いように、テクノロジーとバイアスは変な言葉の組み合わせだと感じていました。
今回の展示発表という形は、日常の生活と切り離された時間での伝え方だと思います。展示は現実から一層浮いたような環境だからこそ「テクノロジーはバイアスを解決できるのか?」という、問いが問いになる状態になっていると思いました。もし、これが直接的な商品開発の場であったら腑に落ちなかったかもしれませんが、現実からのズレがあるから得られることもあるのだと思いました。
また、僕は一概にバイアスをなくせばいいとは思っていません。ある日突然バイアスがなくなってしまったら、びっくりする人もいると思います。現時点でも、日本国内に新型コロナウイルスを知らない人がいる可能性もあります。しかし、それを知らない人がいることをうまく想像しながら物を作ることが難しいほど透明の存在になってしまっています。そのように、何かにおいて、完璧に無知な人というのもいるはずで、そういうことのギャップを手放さないでいきたいなと思いました。
田中:ありがとうございます。今のお話のように展示をやることとは、ストレートな商品開発として「テクノロジーはバイアスを解決できるのか?」を問う欺瞞性を一旦宙吊りにした機会を設けられたのかもしれません。さらに、今回は多くのコミュニケーションが生まれている展示会だと思います。来場者と発表者が作品を通じて活発に議論していて、大学の中だからということもあるかもしれませんが、作品の持つ何かしらの力がコミュニケーションを喚起するような内容を感じるようなものだったかもしれません。その点、現実から一層浮かせることによって機能し始めることがあるという、とても面白いご意見をいただいたと思いました。
布施:メディアアートの展示や博物館などでも、ボタン押したら変化が起こるというような仕掛けがあっても、誰もアクションしないというようなケースが多いように感じていたのですが、今回の展示では、かなりみんなが前のめりに関わろうとしている空間だったので、珍しい状況を目撃したなと思いました。
田中:ありがとうございます。続いて西川さん、いかがでしょうか?
西川:「テクノロジーはバイアスを解決できるのか」という問いに対して、あるバイアスは解決できると思いますが、今日の発表や展示にもあったように、無限にバイアスが生まれていき、時としてテクノロジーが率先してバイアスを形成してしまうという側面もある中で、完全な解決は難しいだろうと考えています。だからこそ、問いかける力というのを常に持っておかなければならないと思いました。最近では広告などのメディアにおいても社会課題に対して声を上げていくという力が求められていると感じます。 広告業界の受賞作品の多くで、商材を通して何かしらの社会課題への問いかけが評価されています。、私たちは問題提起力を磨き続けていかなければならないと思います。それによって、バイアスを完全になくすことはできなくとも、誤った方向に安易に流されてしまうことを防げるのではないかと思いました。

田中:ご登壇のお二人、ありがとうございました。
それでは最後に私からも少しお話させていただきます。「Tech Bias」をテーマにこの10ヶ月活動してきましたが、私自身も「Tech Bias」とはなんだろうと考えながら伴走してきました。展示会場に「Tech Bias」のキーワードマップを掲示していました。この黒字部分は、私が最初に「Tech Bias」からインスパイアされた言葉を書き出したものです。4色の方は、各グループから出していただいたキーワードです。それらを並べ替えてマッピングしたものを、筧先生がデジタル化してくださって作ったものです。

この中に、どなたかが出した「不完全な技術」という言葉があって、私は「Tech Bias」とはまさにこの「不完全な技術」のことではないかと、この表を作る中で思うようになりました。つまり、テクノロジーというのは常にいつも不完全なものであるという認識や気づきを掘り起こしてくれるものではないかと、このプロジェクトの10ヶ月間を経て考えられるようになりました。
お時間が迫ってまいりましたので、本日の第二部のトークイベントはこの辺りで締めさせていただきたいと思います。
