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人類学研究者から美術大学の講師へ

中村寛(以下、中村):みなさん、こんにちは。本日はよろしくお願いします。私は中村寛と申します。タイトルは「デザイン人類学の挑戦」ということで、今日はデザイン人類学が一体どういうものなのかというレクチャーと、とある観察のワークをしていただきます。それから、CFD002では藤田結子先生がエスノグラフィーの回をやってくださったので、そこからどういうふうにリフレクションしていくのかを、後半にお話したいと思っています。
今日のメニューとしては、最初に私の方から簡単な自己紹介を20分ほどさせていただきます。その後、早速チーム分けをして、チーム内で自己紹介をしてもらいながら、簡易的なチームビルディングをしていただきたいと思います。その後、グレゴリー・ベイトソンという非常にキテレツで魅力的な探究をした人類学者がいるんですけれども、その人がやっていた授業を少し再現したいなと思っています。時間通り進めば、残りの時間で応用編をして、最後に質疑応答にしたいなと思います。まず私の自己紹介をしますと、「寛」という字を書いて「ゆたか」と読みます。今日は名前と顔だけでも覚えて帰っていただけたらと思います。普段は多摩美術大学で、リベラルアーツセンターという教養科目を扱うところにいます。美術大学は、基本的にそれぞれの専門分野に分かれていて、実技学科は縦割りに分かれているんですけれども、私の所属しているところでは唯一、ファインアートやデザインも含めて、分野の横串を刺しています。従来の大学は、共創が生まれないような仕組みになっているのですが、私のいる学科が起点となって、横断をしています。また、2年くらい前に自分で立ち上げた、人類学にベースを置くデザイン会社《アトリエ・アンソロポロジー Atelier Anthropology LLC.》の経営もしています。他には「KESIKI」というカルチャーデザインファームにもジョインさせてもらっていて、主にリサーチやインサイトデザインを担当しています。

もともとは、一橋大学にある「Institute for the Study of Global Issues 地球社会研究専攻」というグローバルスタディーズの学科でトレーニングを受けていました。今でこそ色々な大学にこうした学科ができていますが、その当時は、まだグローバルスタディーズという名前を冠した学科はありませんでした。日本で初めてその学科が一橋大に誕生して、そこで文化人類学を学んだのが私の最初のトレーニングだったんです。当時、本当に挑戦的だったのは、それこそ、CFIの取り組みのテーマでもある「領域を超える」ということです。これは言うのは簡単ですが、実践するのはすごく難しいことです。

なおさら、グローバルスタディーズ学科の中でそれをやろうとすると、色々な問題が出てくるということを分かってはいたのですが、そうした学際的な学科を立ち上げて、大学院大学を作ったんですね。私は三期生で、学部生の時にお世話になっていた先生方が、院生を巻き込みながら大学院をつくっていくプロセスを横で垣間見ることができました。
その中で、院生時には人類学をやりながら、隣接領域である哲学や社会学、心理学などを学んでいました。その後、私は高校時代の3年間と、幼少期をアメリカで過ごしていたということもあり、これまでに出会ってこなかったコミュニティを見たいと思い、関心のあった民族・人種差別をテーマにしました。大学院の博士課程に人類学で進むと、ミニマムでも2年間のフィールドワークを住み込みでやらないといけない。これは通過儀礼的に、どの大学院に進んでもやることで、かつてはもっと期間が長かったこともありました。そこで、私はニューヨークのハーレムというところに住み込みフィールドワークをしました。

長期間海外にいると、日本語の発音とは使う筋肉が違うので、口の形が変わるんですよね。そんな状態で戻ってきて、そこから少しずつ時間をかけて「戻って来る」プロセスで博士論文を書く。それが、人類学者がトレーニングの中で経験することです。最初はうまく語れないというところからスタートしていって、どういうポジションで何を語ったらいいのか、誰に向けて語るのかというのを、時間をかけながら心地良いところを少しずつ探していく。それが、フィールドワークの「復路」でやることです。これをなるべく丁寧にやるのが、人類学のトレーニングの一部だと思います。

少し話を戻しますと、ニューヨークのハーレムで長期のフィールドワークをしようとしていた矢先に9.11が起きたんですね。私はもともとアフリカ系アメリカ人のイスラーム運動に注目していて、そのことを研究したいなと思っていた矢先に9.11が起きたので、すぐには入国できず、1年くらい待たなければなりませんでした。そして、約1年後から2年間の住み込みを始めました。今のニューヨークからは考えられないくらい、相当ピリピリした状態の中でフィールドワークをしていましたし、セキュリティ上でも色々なことを気にしなければいけなかったんです。
フィールドワークをする状況のコンテクストによって、方法論も変わってくるんだというのが原体験で、その経験で刻み込まれたものです。戻ってきてから、英文で「Community in Crisis: Language and Action among African-American Muslims in Harlem」というタイトルで博士論文を書いて出した頃に、ひょんなことから多摩美術大学にご縁ができて、赴任して教えるようになったんですね。それまで美術大学には全く縁がなく、美術や視覚芸術にはほとんど関心を払ってこなかったので、最初は私自身も戸惑いました。音楽をやっていたこともあるので、音楽にはすごく関心があったんですけどね。

ですが、戸惑ってばかりもいられないので、美術大学でどういう授業をしたらいいんだろうか、どういう仕事ができるんだろうか、というのをいろんな人と話をしたり、リサーチをしたりしながら考えました。アート&デザインの領域と人類学は、これまでどのように関係してきて、そしてこれから関係しうるのかというのを、10年くらいかけて、対話や冊子作りを通じて考えてきました。

2020年からは、グッドデザイン賞に外部クリティークの役割で、4、5年関わっています。Gマークの審査にあたるのではなく、審査工程を全部見て回るという仕事です。そんな中で、アーティストやデザイナーと話す機会が多くなりました。次第に、話すだけではなくて、一緒に仕事をするようになっていったことが、アトリエ・アンソロポロジー合同会社というデザインの会社を立ち上げるきっかけになりました。

潜在する「暴力」を社会的背景から減らす

フィールドでは「暴力」というテーマに出会いました。人類学では、フィールドを決めるだけではなくて、そのフィールドでどういう問いを切り出していくのかが課題で、私の場合、大きなコンセプトは「暴力」になります。暴力は、英語でも日本語でも、すごく強いニュアンスを持つと思うんですね。大体の人はおそらくフィジカルな暴力を想起すると思います。殴る・蹴るとか、人を刺してしまう、銃殺…などが思い浮かぶのではないかと思いますし、もちろんそういうものも研究対象に入りますが、それ以上に私自身が研究テーマにしているのは、その背後にあるものです。目に見えにくい暴力であったりとか、 発現以前の社会的な「象徴暴力」と呼ばれるものであったりとか。

あるいは、人と人との間の自然化された暴力(naturalized violence)と言うんですけれども、たとえばそのような潜在的な暴力のようなものを相手にしなければならないと思います。そうしなければ根源的な解消に向かっていかないので、対症療法的な方法で暴力に臨むのではなく、違うやり方で研究できないかと思ったのが最初のきっかけです。なので、暴力というと実際のテーマよりもニュアンスが強く伝わってしまうかもしれません。

私たちが制度の中で生きている限りは手放しようがない、身の回りにある暴力だと考えてもらえるといいかなと思います。できれば自分たちは加害者にも被害者にもなりたくないと思っているけれども、生きている限りは必ず私たちも加担してしまうし、場合によってはその被害を受けることにもなりえるんです。これを根絶するやり方ではなくて、どうやって縮減していくのかというのが、私がこの十年以上やってきた研究テーマになります。

暴力があると、自覚されていようといまいと、「社会的な痛苦」と呼ばれる、社会的な苦しみや痛みが生じてきます。自覚されていたら良いのですが、自覚されてない場合には、身体にあらゆる病状として出てきたり、アレルギー反応として出てきたりとか、ある種の違和感のような形で出てくる場合もあります。自覚されてくると当然のことながら、ここで初めて文化表現が生じてくるんです。

洗練されていれば、ギャラリーや美術館に陳列されるような美術品になるかもしれませんが、それ以前に文化表現の形をとって、表現されてくることがあるんですね。曰く捉えがたい痛みや暴力に対して、ある種の叫びのような表現になるんです。私がストリートのフィードワークをしていたので、そこで出会ったところでいうと、叫びのような支離滅裂な語りであったりとか、ものすごい過剰な形で語りを繰り出したりというような事象自体に、文化表現を見て取り、それが洗練されていくと、ヒップホップのような表現になるということかもしれません。

例を挙げていくとキリがないですけれども、日本でいうと、例えば沖縄戦の記憶みたいなものが、60〜70年の時を経て、能の舞台に昇華されたり、水俣病の記憶がある種の文化表現になったり、東京大空襲を生き抜いた小学生たちが描いた絵もしかり、言語にしたら消えてしまったり、きつい表現になってしまったり、あるいは言葉にし尽くすことができなかったりするものが、ある種の過剰となって表現になることがあり、それが一つの文化表現と呼んでいるものです。

もう一方で、文化表現の形はとらないものがあります。または語りによる告発や闘争みたいなことはしないけれども、社会的な取り組みを地道にやる人たちも出てきます。どちらかというと、デザインの分野に近いかもしれません。広い意味でのソーシャルデザインのような形で、社会的な痛苦をマシにしようとか、暴力を縮減する方向に向かわせようという仕組みづくりをする人たちが、フィールドの中にいると見えてくる。少し長くなりましたが、主に私自身の研究テーマは、この三つの項を様々なフィールドで見ていくというのが、ここ十年以上やってきた研究テーマです。

しかし、この7年くらいでフラストレーションがあって、それは何かというと、20世紀はご存知のように戦争の世紀だとか、暴力の世紀だと呼ばれてきました。2回の大戦を経験していますし、様々な社会的課題というものが噴出しました。それ以前と比べて暴力的だったかどうかは議論が分かれるかもしれませんが、20世紀というのはそういう世紀だと表現されることが時々あります。

その20世紀に、暴力の論考というのがたくさん出たんですね。上げていけばこれもキリがありませんが、ジョルジュ・ソレルをはじめ、ヴァルター・ベンヤミン、エドワード・サイード、ミシェル・フーコー、ハンナ・アーレントも、色々な論者が世の東西を問わず出てきて、ものすごく洗練された形で暴力論を展開した。ですが、いずれも解決には至ってないんですね。

これだけの才能が集まって、これだけの想像力と、クリエイティビティを持った思想家を持ってしても、文章は作れるけれども、それ以上の何かはできないんだというのがフラストレーションでした。もちろん新しい形態の暴力というのは今でも生じていると思うので、分析は必要なんですけれども。

アカデミックなそういう取り組みみたいなものを、もう一歩進んで社会実装に持っていけないかなと思ったのが、もう一つの起業の背景です。そんなわけで、全部の研究を紹介しきれませんけれども、戻ってきてからは、様々な地域に関わって、その社会課題や地域課題に取り組んだり、必ずしも全部が明示的な暴力を扱っているわけじゃないんですけれども、エリアを飛び回って色々なチャレンジをしているところです。

そうは言っても会社を立ち上げたのがまだ2年前なので、その前にはアカデミックな仕事をやっています。たとえば、社会学者でありエスノグラファーのテリー・ウィリアムズがニューヨークでの文化運動を記録した『アップタウン・キッズ』というすごく魅力的な本の翻訳をしました。

他には、多摩美をはじめとする大学生が参加して、一緒に冊子や絵本を作るというワークショップを開催して、この『Lost & Found 』という冊子や『はじめのはなし』という絵本を作りました。

編集の仕事もいくつかやっていまして、「人間学工房」というサイトをしばらく運営していました。会社の前身が、このような一つの文化運動のサイトだったんです。また、英文で書いた博士論文を日本語にして、『残響のハーレム』というタイトルで語り直すという仕事をしたり、美術大学に勤めている人たちとコラボレーションして『芸術の授業』という本を作ったりしました。

最近では、「アメリカの〈周縁〉をあるく」というプロジェクトを10年越しくらいで、写真家の友人と一緒にやっています。この記録は本になって、平凡社から出版されました。それ以降はずっと、国境地帯を旅して回っていて、この間ようやく2年かけて、メキシコとアメリカのボーダーを全部見てまわりました。物理的に全部歩くのは難しいので、なるべく一般道を使って、国境線沿いギリギリのところを車を使って行きました。ボーダータウンの小さな町がいっぱいあるので、そこを訪ねてまわりました。

今日のテーマのデザイン人類学との関連で言うと、この『DESIGN SCIENCE』という、深澤直人さんが立ち上げた「THE DESIGN SCIENCE FOUNDATION」から出た冊子の1号目では、デザインとは通常結びつかないような心理学者や文学者らがデザインサイエンスとは何だろうかというのを考える中で、私も寄稿しました。

関心がある方はぜひ、「デザイン人類学 中村寛」と検索していただくと、いくつか無料で閲覧できる論考や映像が手に入るかと思いますので、ぜひ見ていただければと思います。

自分の会社では、人類学に基づくデザインファームとして、デザインコンサルティングやR&D、クリエイティブ・ディレクションなどを中心に、色々な伴走支援をやっています。「アンソロ・デザイン」(「Anthropology Based Design」の省略形)をキーコンセプトにしながら、人類学を基礎に置いてリ・デザインするなど、デザインそのものの枠組みから考えています。実際に、デザインする際も上流の一番最初のブレストから入ることのほうが多いですし、その方が効力が発揮できるので、最初の上流から最後の下流、実装のところまで一緒に伴走していくというプロジェクトを、今何本か走らせています。

ここから授業の本題に入っていきますが、ここまでの自己紹介・会社紹介で何か質問のある方いらっしゃいますか?

参加者:ご活動のイシューとアプローチについてはおそらく理解できたのですが、どのようなゴールなのかがあまり見えなかったのでお伺いしたいです。「いさかいがなくなった世界」とは、つまりどんなイメージですか? そのかなり手前のところはイメージできるのですが、最終的なところ、実現が難しい部分ではあると思うのですが、お考えを聞きたいです。

中村:いさかいは完全には消えないと思うんですよね。小さな争いや紛争はゼロにはできないんですけれども、制度が抱えている暴力の縮減というのが大きな課題です。例えば、環境課題などを縮減していく循環的な取り組みや枠組みを地域と一緒に考えていく、あるいは、それら経済圏の活動とは切り離されてしまいがちなものを、いかに融合してメカニズムを作れるかというようなことに今挑戦中です。なので、一般的に言われる社会課題の解決というよりは、少しでもマシな形にしてグランドデザインし直したり、仕組みや枠組み作りをしたりしていますね。

参加者:ありがとうございます。イメージできました。

デザインと人類学の「介入」のベクトル

中村:では、「導入の問いかけーー観察と思考実験」に入りたいと思います。これからグレゴリー・ベイトソンさんの授業を紹介しながら話を進めていきますが、ぜひ3人から4人くらいで、あまり話したことない人同士でチームを組んでください。

まず、デザイン人類学とは一体何なのか、という話はこれまでのCFDでも何度か出ているかなと思うんですけれども、もう一回だけ復習しておくと、基本的には、デザインと人類学のこれまでの関係には4通りあったと思うんですね。

1つは「Anthropology for Design」と表現できるようなもので、人類学の方法をデザインが学び、デザイナーが取り入れていくものです。例えば、UXリサーチの分野や、エスノグラフィック・リサーチなどの分野に言うことができます。これにも長い歴史があって、古く辿ると70年代頃からあるものです。

2つ目はその逆で、「Design for Anthropology」です。デザインが使っているメソッドやアウトプットを人類学に取り入れていこうとするチャレンジですね。

3つ目が、普通のいわゆる人類学者の研究で、「Anthropology of Design」です。これは、デザインやデザイナーが研究対象になり、人類学的な研究を行うというものです。

ここまでの3つが通常整理されるもので、4つ目が、今ここで私たちがチャレンジしなければいけないことです。デザイナーと人類学者たちが一緒に何かを作り出したり、リサーチをしたりして、一緒になって考えていく、コラボレーションをしていくという関係性です。「デザイン×アンソロポロジー Design x Anthropology」と言ってもいいし、「アンソロポロジー×デザイン Anthropology x Design」と言ってもいいと思うんですけれども、どっちかがどっちのためにというのではなくて、両者が対話をしながら最終的にアウトプットをつくっていくというものです。

このコラボレーションの効果は何でしょうか。基本的にデザインというのは、介入のプロジェクトですよね。クライアントワークということも手伝って、基本的には何かを変えるためにデザインをしようとしています。なので、最初から介入ありきでやっていく。そのため、悪く転んでしまうと、非常に暴力的な介入になることもあります。なので、一個のデザイン、仕組みや商品が、世の中を劇的に鋭く変えてしまったり、未来にものすごい影響を持ってしまったりする。そのような力をデザインは持っています。良く使えば、それは非常に有効な手立てになっていきます。

人類学はというと、応用人類学を除くと、これまで産業とはあまり結びついてきませんでした。また、エスノグラフィーを主な成果物にしてきたことによって、書いたそばから過去のものになっていくんですね。Anthropology自体は現在に呼応しようとする学問で、現在の変化や機微みたいなものをフィールドの中で感じ取っていると思うのですが、アウトプットはというと、未だに論文やエスノグラフィーが中心なんですね。エスノグラフィーは基本的に“graphy”なので、そこにいる集団を記録することで固着させる働きを持ちます。そういう意味で、書いた記録は書かれたそばから過去のものになっていく。そのため、ベクトルがどうしても過去に向いてしまっています。

その両方のベクトルをうまく掛け合わせながら、新しい価値を生むというところに一つの可能性があるのではないかと思うんです。これが大まかにはデザインと人類学の掛け合わせのDesign Anthropologyの可能性だと考える理由です。詳しくは先ほど紹介した教材のビデオや論考にも載っていますので、ご確認いただければと思います。

今日は、もう一歩進んで、「じゃあ文化人類学って、そもそもどういうことなんですか?」「それはどのようにデザインと共創するときに力を発揮することができるんですか?」という問いを取り出して、一緒に体験してみようと思います。

人類学の特徴はというと、人類学者が百万人いたら百万人が異なる回答をすると思うのですが、私にとって人類学の一番の魅力であり特徴だな、と思えるところを仮に4つ挙げています。

一つ目はテキストメイキングをするということですね。「Participant Observation」と呼ばれる参与観察を通じて一次資料を作ることができるという非常に特権的な場所にいるのが人類学者だと思います。その権威性にひどく反省的になったのが、80年代から90年代でした。しかし、いずれにしても歴史家やエスノグラファー以外の社会科学の領域の研究者たちができないことです。通常は、一次資料がどこかに存在していて、それを取りに行き、対象化して分析して、となります。ですが、参与観察では、自分の経験をフィールドノートを書くことによってメイキングしていくのが特徴です。

2つ目は「Epistemological Reflection」。認識論的な反省というものを、学問のディシプリンの中にすでに持っているということですね。社会学で、リフレクシブ・ソシオロジーと言われますが、人類学にとっては当たり前のことです。なぜかというと、学問の出自に関係していて、西洋で制度化された学問だけれど、早くから非西洋へ出かけていったので、こんなに人と人は違うんだという驚きからスタートするんですね。驚きからスタートしながら、その共通性を見に行くという特徴を持っているということは、途中で自分たちが持ち込んだカテゴリーがことごとく崩されていくんですね。典型的な例を言うと、一神教の神の概念を持ち込むと、最初はアメリカの先住民たちには神がいない、つまりは信仰がないというような誤解をしてしまうんです。階級というマルクスが作った概念を持ち込んで、アフリカ社会を読み解こうとすると、大きな翻訳の間違いをしてしまうんですよね。あるいは、フレームそのものを疑う。西洋の中では当たり前で、人間に普遍的だと思っている家族観、一夫一婦制であったりとか、様々なものがあると思うんですけれども、それを根底から揺さぶるようにリフレーミングをしていくというのが、この認識論的な反省。フレームの偏りと同時に、その権力作用にものすごく敏感であるというのが2つ目の特徴かなと思います。

3つ目としては、人間が関わり得るあらゆる事象を対象にできるということです。例えば、普通の科学の領域ではできない幽霊の研究も堂々とできます。他の学問であれば、これで科研費を取りましょうと言ったら、あなたどうしたの? というように追放されると思うんですけれども、人類学だと、幽霊を見やすい条件など、真正面から対象化することができます。岩の声を聞く人とか、憑依現象とか、全世界的にある種の呪術的な現象は目撃されるし、近代化が進めば進むほどなくなるだろうと思われていたものが、かえって強まるという事象が報告されるんですよね。これが一体何でなのかということを、研究対象にすることができます。かと思えば、科学者と一緒にラボに入って、その人たちがどういうふうに実験対象を扱っているのか、例えばIPS細胞の研究現場に行って、iPS細胞は一体どのように科学者たちに認知されているのかをフィールドワークすることもできれば、私みたいにデザインの審査会場に出かけていって、審査対象を全部見て、審査員たちと話をするようなことも研究にすることができるんですね。つまり、人間が関わっている限りは、全てのありとあらゆる事象を研究対象にすることができるというのが人類学のもう一つの特徴です。

そして4つ目は、具象レベルと抽象レベルの思考を何度も行ったり来たりするということです。プラクティスとしては、民族誌と人類学が引き裂かれていて、民族誌はディテールにこだわりながら、100人の小集団とかを描いたりするのに対して、人類学の問いとしては、人類の普遍的な問いや共通性を考えているので、哲学者以上に抽象的なことを考えると同時に、ジャーナリストよりももっと泥臭いフィールドワークをするというような、ダイナミックな振れ幅があるというのが非常に特徴的です。そんな特徴を持った人類学のある部分を取り出して、一緒に体験してみよう、というのが今日の趣旨です。

後編では、人類学、精神分析学、社会学など、さまざまな領域に影響を与えた学者のグレゴリー・ベイトソンの往年の授業をもとに、「観察」を通じた思考実験のワークへと続きます。

後編へ続く

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