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ものを見るための目の構造と無意識のふるまい

筧康明(以下、筧):Creative Futurists Dialoguesの第6回目を始めます。お集まりいただきありがとうございます。今日のゲストは高木紀久子先生です。美術家でありながら、認知科学・認知心理学、創造性の研究者でもあり、芸術創造連携機構の特任助教も務めていらっしゃいます。今日はアーティストの創造プロセスについてお話しいただき、間にワークをしながらそのエッセンスをつかむようなものをご用意いただいています。対話の時間もあるので、皆さんも準備いただければと思います。高木さん、早速ですがよろしくお願いいたします。

高木紀久子(以下、高木):本日は皆様、お忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます。お声掛けいただきました筧先生はじめ、また、このような場を設けていただいたCFIの皆様もどうもありがとうございます。今日の流れといたしましては、まず簡単に私のプロフィールをご紹介して、代表的な研究の話を二本ご説明します。その後、実際にアーティストの創作プロセスを体感するワークをして、その内容をお互いにシェアしてもらいます。最後に、全体のディスカッションをして、クロージングとさせていただきます。

今ご紹介いただいたように、私は認知科学の中では変わり者で、多摩美術大学の絵画科の油画専攻出身です。創作を通じて自分の手を動かしながら感じた概念を生成する過程に興味を持ちました。また、仕事を通じても、デジタル表現、例えばSIGGRAPHで調査をするなど、アートとサイエンスの合間の研究に関わり、人の認知へと興味関心が進みました。

2010年には東京大学の情報学環に修士で入学し、社会人学生として学びを再スタートしました。すると研究に夢中になり、そのまま博士へ進み、2017年に東京大学でアートの実践を行う組織・芸術創造連研究携機構の発足時に採用され、現在までその事業と運営を担当しております。

実は私はインスタレーションという形で作品を制作していましたが、これは作業や手数など、関わる要素が山のように積み上がるプロジェクトワークです。皆さんの中にもアーティストの方がいらっしゃると思うのでご理解いただけると思いますが、本気でやると片手間にはできません。また、研究とは自分にしかできないものなのかもしれないという点で、アートも研究も表現という意味では同じなのではないかと考え、活動しています。

さらに自分の興味関心部分を深堀りして振り返ってみました。図の左側、美術大学でのアート創作から始まります。美大で作家を目指すと、大体の人は学部を卒業してから大学院に行くんですね。ところが私の場合、家庭の事情などもあり大学院へは進学できなかったのですが、アーティストになるというモチベーションが高かったので、茅場町の元銀行の使ってないビルで、仲間13人と一緒に、「くるくる」というアートのシェアスタジオを始めたのです。

その時はコマーシャルの企画の会社で仕事をしており、バブル時代の最中で仕事もたくさんありました。ところが、どんどん自分の展覧会の話をいただくようになり、コマーシャルの仕事との両立が難しくなったため、会社を辞めてフリーランスを長くやりながら、デザインの専門学校でビジュアルデザインの教鞭を取ることも始めました。ビジュアルデザイン系の教育に関わる仕事と創作が同時進行で進みました。

多摩美術大学の在学時はビデオを使用した映像教育の最初期におり、萩原朔美先生が映像ゼミを始めた時期でした。そのときは民生機の第一号であるソニーのF1という、今では信じられないほど巨大なカメラとレコーダーを抱えて使うような授業から、私は創作に出会いました。 インスタレーションの中で映像をメディアの一つとして活用する走りの時期でした。そのような活動をしていると、ビジュアルデザインの世界の中では、理系と捉えられてしまうんですね。 

私も文系出身なのですが、見渡す限り周りは絵を描くなど平面に関わる方が中心なので、映像編集などで手を動かしていると、デザイン学校では一番理系に近いと見なされました。そして、CGデザイン科が学内にできたときに、コースの設計を任されることになったのです。

その当時、主に理工学系の学校の先生方がスタートした情報という授業に注目が集まっていました。また、それを学ぶ学生のために情報検定の試験が作られました。今でいう、情報学の基礎の基礎のようなものです。少し時代を経るとそれは情報デザインというものに変遷していきます。情報だけではなく、情報デザインへの機運が高まり、理系の学校でアルゴリズムなどを扱うものだけではないだろうと、アートやデザインのへの需要が高まりました。その中で情報デザイン教育の議論にも関わったのですが、いわゆる理系の人間と文系の人間は共通言語が異なるため、そのギャップに立ち向かわなければなりませんでした。デッサンに対しての考え方から、視覚に関する知識、創造性に関する思考など、文系と理系では背景が大きく異なります。その中で苦労もありながら、情報デザイン教育および情報デザイン検定を作ることに携わってきました。

映像に始まり、Web、そして3Dデザインと、当時はいっぱいいっぱいでしたが他にやる人もおらず任されてきました。当時はアルゴリズムを全て書かなければならなかったので、理系の大学とごく一部の専門学校が扱う領域だったのですが、ソフトウェアの開発やコンピュータのスペックが進化したことにより、徐々にアート・デザイン系の学校でも扱われるようになりました。

当時国内では周りに似たようなケースがなかったため、トップ教育を求めてSIGGRAPHへ行きインタビューをしました。他にもフランスやカナダのCG教育に先進的な学校のカリキュラムなどのリサーチを重ねました。

その頃、創作の方は、自分たちで立ち上げたアーティストのシェアスタジオの契約が終わって解散し、その後は美術館やギャラリーなどで発表をする中でATWに誘われました。ATWとはAround The Worldの略で、スウェーデン出身のドイツ人アーティストJårg Geismarのコンセプトのもと、ドイツのデュッセルドルフ、アメリカのニューヨーク、そして東京で、コピーやFAXなど、90年代当時の複製技術を使って作品をそれぞれの場所で同時発表するループです。私は東京の運営をしていて、FAXやメール、手紙を利用して各地と連絡を取り合いながら、2国間もしくは2ヶ所間で何かを展示するということをしていました。ドイツの建築家のメンバーHolger Dreesがアイデアを出したサウンディングルームという企画では、30名のアーティストが3本ずつ同じ60分間の音源のカセットテープを作りました。中には60分間に1回だけ拍手を打つという人もいました。東京とオランダのデンハーグ、南アフリカのケープタウンの3箇所にカセットテープのセットを送り、同じ日に展覧会を開催しました。東京で私たちはラジカセを30台借り、湯島聖堂の中に二重の円を作って、その中で60分間の音源をエンドレスで流すインスタレーションを音楽家の三井一正が中心となって設計しました。オープンエアなので、音が混ざるのですが、ラジカセのスピーカーの音の指向性を活かしてデザインしたため、近寄って聞くとラジカセからの音が聞こえて、離れるとノイズになるというインスタレーションになりました。デンハーグではワイン倉庫のギャラリーを借りて、ラジカセ30台にヘッドフォンを繋げて展示したそうです。ケープタウンでも仲間のラジカセを集められるだけ集めて、公民館のようなところで実施したらしいのですが、記録が届かなかったので、実際のところは不確かです。ATWでは他にも、3ヶ月に一度、何らかのテーマで作品をFAXで送り、機関誌を発行したり、各国の美術館で巡回展を開くといったことも当時はやっていました。

その間、デザイン学校では、産学共同プロジェクトやデザインの授業研究など様々なものが並行していましたが、情報デザインに足をふみ入れたことから、認知科学への興味が高じてきました。なぜかというと、例えば、コピー機のトナーがなくなった時に、コード言語で書かれても、一般人にはわかりません。明確に伝達するには、ビジュアルや記号による絵記号、すなわちアイコンで表す必要があります。さらには国ごとの文化を超えて通じるものでなければならないし、その認知は人それぞれが持つ世界観を反映しています。ここには人の認知が深く関わっているため、その理解の必要性を強く感じました。

人の認知について本格的に学べるところはないかと探したところ、東京大学大学院の情報学環が社会人の学生を受け入れており、本学へ進むことを決めました。アーティストや物作りをする人が、何かアイディアを思いつくときというのは、創造性神話といわれるように「神様がメロディを教えてくれた」「アイディアを運んできてくれた」というようなことをよく耳にします。私の場合にもそういうことが実際にありながらも、神々が教えてくれたわけではないなという体感がありました。その部分を腑分けしてみるにはどうしたらいいのかと考えたのが認知の学びに入ったきっかけです。

大学院生として過ごしているうちに、認知科学の領域でも、アートに関する研究が注目を浴び始めました。私が2013年に初めて国際認知科学学会で発表したときには、そもそもアートのプロセスを研究していると、なぜコンテンポラリーアートの創作などわかりづらいものを対象とするのかと、色々な質問が出てきました。建築家もしくはプロダクトデザイナーのように、ゴールが明確なものであれば、プロセスをきちんと測って見ることができます。それに対して、コンテンポラリーアートなどを作るアーティストは、そもそものゴールが極めて不明確です。わかりづらい対象をあえて選んでどうするのかという意見もありましたが、それからも次第にアートに関する研究は増えていきました。今では国際学会でもアートのセクションができ、私の恩師である岡田猛教授がキーノートスピーカーに招かれるなど、その注目は年々広がっています。今週の月曜日に実施された今年の日本の認知学会では、222本の発表のうち、アート関係の発表が23本もありました。全体の1割まで増加したのはとても大きなことです。その詳細を見ると、デザインやダンス、声楽、音楽など、ビジュアルアートには限らないものの、アートが注目を浴びているのは、ここ10年の大きな変化と感じています。

他にも、インタビューを続けているビジュアルアーティストとの共同研究や、子供に対する芸術教育、陶芸作家たちとの共同研究も立ち上がっているところです。また、サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マスにアートを加えたSTEAM教育の研究や、領域を横断したアート表現、例えばビジュアルアートや音楽などにも触れることで、可能性が広がっていきました。アートの創造性の認知科学に関するこのような研究活動が増え、現在はアートの実装はあまりやっていないという状態です。

ここまで自分の興味と、創造性の認知科学の研究に至るまでについてお話ししました。簡単にまとめると、創作を通じたプロセスへの興味と、視覚芸術と科学、つまりアートとサイエンスの融合領域への関心が重なり、これらの認知心理学的研究に現在勤しんでいます。次は認知科学・認知心理学が、この社会の中で一体どのような位置づけになっているのかを説明して、研究の話に入りたいと思います。

社会、技術の進化とともに新しい知を創造する現代美術の複雑さ

創造性研究がなぜ今注目を浴びているかというと、知識基盤社会(ナレッジベースソサイティ)の問題の立ち上がりにあります。例えば、駅の券売機がタッチモニター操作の場合、今では浸透していますが、当初はその使い方がわからないお年寄りの方も多かったのではないかと思います。それまでボタンを押してチケットを買っていた人にとって、スクリーンは見るものだという認識があったため、タッチスクリーンが何を意味しているのかわからなかったのです。当時は対策としてボタン形式のものとタッチスクリーンの両方が設置されていました。現在もATMには両方を兼ね備えてるものがまだ残っています。身体的な問題以外にも、例えばスマホがなければ必要な情報にアクセスできず本来もらえる公的資源がもらえないといった、デジタルディバイド(情報格差)は見られます。

新しい知識や創造性というのは、世界的・公共的価値だけではなく、個人の豊かな生活を支えるものであると同時に、みんなで共有できるような形でなくてはなりません。だからこそ、知的文化的な価値も含めてもう一度見直し、その内実をきちんと見ていく必要があります。そのためには、その価値の創造過程の解明が必要です。そこで、認知科学の中でも特にその部分を深掘りする認知心理学の役割が求められます。これはKaufman & Sternbergという創造性の心理学の世界では著名な研究者らの指摘にも見られます(Kaufman & Sternberg, 2010)。

一方で、Csikszentmihalyiという研究者によって、社会的文脈における創造性のシステムモデルという提案もあります。社会においては、美術館など個人のアーティストだけではなくてそれを受け止める展覧会やイベントなどのフィールドがありますよね。個人で作ってしまう人もいますが、人間は社会的な生き物です。フィールドの中で行き来しながら、作品を社会に出したり、評価を得るためにスキルを得たりと刺激を与え合う相互作用があります。その中では、学芸員や批評家ら文化のゲートキーパーが何らかの価値づけ、意味づけとしてのゲートを開いていくという関係性があります。個人の創造が閉じているわけではなくて、社会、文化、個人の間で互いに関係性を持ちながら存在しているということがこのモデルから提示されています。

これらを踏まえ、もう一歩踏み込んで現代美術に向き合ってみます。筧研、ソニーの研究者の中にはアーティストの方がたくさんいらっしゃると思いますが、異なる領域の方もいらっしゃると思うので、一つの見方を共有します。

現代美術が難しいと言われるのには理由があります。例えばニューヨーク近代美術館の初代館長であるAlfred H. Barr Jr. が1936年に企画した「CUBISM AND ABSTRACT ART(キュビスムと抽象画)」という展覧会の図録の表紙のダイヤグラムは、何がどうなっているのかわからないほどに様々なものが影響し合っていることが示されています。このように、極めて多様かつ同時多発的に色々な出来事が生じ、複雑な関係性を持っていることも現代美術がわかりづらい原因の一つといえるでしょう。

この図の真ん中のピンクの部分は、近代産業革命以降の美術の歴史の概略を表しています。美術史を見ていくと、西洋美術を中心に、アートの中だけで進化しているような印象を受けますが、実はそれだけではありません。図の下の段には世界的な歴史の事象があります。産業革命に始まり、第二次産業革命、そして第一次世界大戦が起こるという流れです。その上にある行は、技術の歴史です。これらとも相互作用を持ちながらアートは進化しています。さらにその上に、私の興味関心でもある、心理学の進化、いかに認知科学が生まれたのかについて載せています。これらは全てアートと影響のある関係といえます。

「芸術の終焉」は、いわゆる新技術というものが開発され、再現性の問題がアーティストの手から奪われたことにあります。それまで西洋美術は、王族や貴族、神話から宗教的に崇高な存在を取り上げたという歴史的な事象があります。神が自分に似せて人間を作ったように、人間を人間のまま生き生きと表現する再現性の高い技術が評価されました。ところが写真の誕生によって、画家が持っていた技術が機械に奪われてしまいます。その後、アーティストは何をもって自分たちの価値を見出していくのかというところから、様々な方向性が生まれたとされています。

その中でわかりやすい例を二つ挙げます。産業革命によって、化学染料・化学顔料が開発され、絵具の色数が爆発的に増えました。アクリル絵の具でも、カドミウムレッド、カドミウムイエローという色がありますよね。化学的に合成された非常にビビッドな色の絵具が生まれたことは、画家たちに強い影響を与えたことは想像に難くありません。印象派の画家たちが使っていたパレットを分析すると、例えばモネのパレットは、その当時に売られていた絵の具を全種買っていたことが指摘されています。

もう一つの例が、絵の具のチューブの開発です。それまでは顔料や岩石、虫などを弟子がアトリエの中で乳鉢ですりつぶしたしたものを使ってアーティストは絵を描いていましたが、油と顔料をミックスして、鉛のチューブに入れたものが発売されるようになりました。これはいわゆるモバイルコンピュータができたことと同じです。アトリエの中で、大きいキャンバスをH型のイーゼルに載せて描いていたものが、折りたたみができる軽いイーゼルを自分たちで開発して、チューブを入れる絵の具ケースを作ることで、、屋外で絵を描くことが可能になりました。外の光の中で見るものは、部屋の中へ持ち帰って再現する時とは全く異なり、よりビビッドな色や異なる影の色を使った表現を生みました。そして、印象派の一部は、まずその色彩の研究へと入っていきました。このように、概念的な検討だけではなく、技術的な発明や社会的な事象にも大きな影響を受けながら、創作は進化したといえます。

また、第一次世界大戦の頃はベルエポックと呼ばれる時代にあたります。社会が産業革命の結果をエンジョイしているように見えながらも、実はひたひたと迫ってくるような不安をアーティストらは感じていました。ちょうどその頃、フロイトの精神分析も登場していて、それもアイディアとして取り入れられるようになりました。いま見えているもの以外の、それを超えた存在として、リアリズムを超越したシュルレアリスムという形でイメージが広がったという関係性も指摘されています。

さらに時代が進むと、コンピュータの誕生を迎えます。これこそが認知科学が生まれた大きなトピックです。それまでは、行動主義のように人間が外側を見て内的なものを判断していました。例えば、犬に食べ物を与えるときだけ、あるベルの音を流すと、ベルを流しただけでよだれが出るというものです。それが、コンピュータの登場によって、その働きを人間の記憶に置き換え、予測できるようになるのではないだろうかというような発想が生まれてきました。そしてダートマス会議でハーバート・サイモンらが提唱した、人間の記憶の貯蔵をメモリーとハードディスクの関係に置き換えて解釈する視点が登場しました。それによって、計算機科学が予測に利用されるようになり。数値的に心理の内実に踏み込むということが、認知科学誕生へ大きな契機となったのです。

認知科学の背景から見ると、美術創作は作品を通じて新しい知を想像する問題解決活動と捉えられます。また、そのプロセスにおける新しいものを生み出すという点に、人間の創造性の本質があるという問題意識のもと、研究が進んできました。美術創作を問題解決として考えるとはどういうことだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、認知心理学の世界では、問題を二つのタイプに分けて考えます。

一つが良定義問題です。これは条件が明示されていて、問題の範囲や対象、解き方など、ゴールが明確なものです。計算やパズル、クイズなどがこれに当たります。もう一つの悪定義問題というのは、条件が明示されていない、要するにこれまでにない作品価値について探索します。問題の構造化は、各人の領域的知識に委ねられているというものです。例えば、フレームに入ったものが絵画とされた時代もありましたが、今は壁を支持体として考えるインスタレーションがあったり、空間そのものを扱うものがあったり、あるいはバーチャル空間にまで表現が発展しています。問題の対象となる空間が限定されないのが、悪定義問題の特徴です。すると、アートの内実としての問題意識が深まっていると現代美術の創作を捉えることができます。この点において、エキスパートのアーティストがどのように新しいアイディアを生み出すのかという問いに対して、私は時間軸と認知処理の組み合わせという二つの観点から研究を行いました。

熟達したアーティストはいかにコンセプトを設定しているのか

これから二つの研究を簡単に紹介します。研究①は創作全体における作品のコンセプトへのプロセス、研究②はアイデアを見つけたその瞬間、あるフェイズだけに着眼したものです。

認知科学の研究は様々にありますが、このような点に迫るものは少ないです。なぜかというと、私の研究の中には、約10ヶ月の間、2週間ごとにインタビューをしたというものもあるのですが、そういったことができるケースはなかなかないんです。インタビュー期間に出来上がったスケッチやアイディアを書いたメモは、全部写真を撮って提供してもらいました。

この研究の基本となる考え方は、Finke, Ward & Smithという心理学者が作ったジェネプロアモデルに起因しています。これはを考えるときの発明先行の思考の動きです。、その際の産出物への制約がジェネレートする方向とエクスプローラする方向の両方に働いているというものがジェネプロアモデルです。この考え方は、創造性研究の世界でかなり重要視されています。 

ジェネプロアモデルは、始めはを対象とした実験から提案されました。それに対して我々は、これを元に仮説を立ててモデルを拡張しました。エキスパートであればあるほど領域的知識が大きいため、類推を使って解釈したものをもとに「ずらし」などの認知操作を使って生成しているはずだという仮説を立てて、モデルを精緻化してきました。

ジェネプロアモデルに加え、人が物を作るときにはメタ認知活動が働いています。特にエキスパートであればあるほど、今自分がうまくいっているとか、締め切りまで結構いいスピードで進んでいるとか、何かひっくり返さないといけない、など何らかの目的に従ったメタレベルの認知が大きく働いています。図下部にある対象レベルでは、今やっていることに対して働いているモニタリングという注視が非常に発達しているとされています。メタレベルも、ただぼーっとそれを見ているわけではなくて、まだ確定案ではないけれども、何らかのモデルになるような想定されます。実際に具体的な作品が作られる対象レベルに対して、何らかのメタ認知が働くというように、認知がこの二つのレベルの間を常に行き来しています。

創造のプロセスには様々な認知処理が関わっています。ここでは「ずらし」「ずれ」と類似性思考、予期せぬ結果の驚きの利用というのを、あえて定義的な用語として使っていいます。予期せぬ結果の驚きの利用とは、つまり、何か予想外のことが起きたときに、それをそのままにせず利用する、という認知処理です。

次に、「類推的ずらし」という、2009年に岡田、横地、石橋、上田らが提示した認知処理を説明します。。知りたいものやよくわからないものに対して、よく知っているものを当てはめるのが、いわゆるの考え方です。それに対して「類推的ずらし」というのは、創作の場において何らかの変更を加えます。つまり、類推を利用し、さらに一部改変を加えるということです。

先ほどの「ずらし・ずれ」に当てはめるとこのような図になります。よくわからないものを作るときは、何らかイニシャルのものを適用します。膨大な数の類推の中で色々なハプニングが起きて、ずらしたつもりがターゲットの外まで飛び出してしまう、これが「ずれ」です。この場合、一般的な人であれば目的から外れて失敗だと捨ててしまうところを、エキスパートはこの「ずれ」を大事にしていて、むしろこれを引き出すために試行錯誤しているのではないかと我々は想定しました。

つまり、熟達者であればあるほど、.専門的知識がメタレベルにも、実際の創作レベルにも強く働くわけです。専門的知識があればあるほど、制約にとらわれてしまうこともありますが、熟達者は自ら身につけたコントロールを外そうとします。偶然に出会ったものを活かしたり、普段の方法論ではないことを起用したりします。この熟達者の創造プロセスの認知処理について、このようなモデルを使い検討してきました。

ものを見るための目の構造と無意識のふるまい

次に、簡単なアイスブレイクをします。今から見せる絵の、どちらの濃淡が強いでしょうか? 1分間見比べてみてください。 

大体の方が右を選びましたね。では、もう一つお聞きします。この2枚を皆さんはどのように見比べましたか? 

参加者:濃淡という観点で見ていたので、黒が濃いところを中心に、こちらの方が濃いなと見たり、逆に白いところはどこだろうと見て、こちらの方が白いなという感じで見ました。

高木:視点を移動したわけですね。ありがとうございます。他にはありますか。

参加者:先ほどの方と同じにはなるんですけれども、最も黒い部分と、最も白い部分を比較して見ました。

高木:最も黒い部分と最も白い部分を比較したときに、何かしましたか。

参加者:同じ点を交互に見比べました。

高木:ありがとうございます。他には何かありますか。

参加者:僕には2枚が全く同じに見えたので、自分の錯覚で濃く見えているのか、それとも光の加減で濃く見えているのか、環境と自分の関係を考えながら見ました。

高木:いろんな見方をしていただいてありがとうございます。もう一つ聞きます。今の自分の見方を振り返ってみて、まぶたを細くして見た方はいらっしゃいますか。

それに関しては、あまり気が付かなかったという方が多数ですね。

これは左の絵の方を明暗を濃く加工しています。実は、人間が明暗を見るときには目を細くして見ます。特にデッサンのトレーニングをしている人などは、この方法を意図的によく使います。目の網膜の中には明暗を感知する幹体細胞と、色味を感知する錐体細胞があります。光が少なければ少ないほど、色がわかりにくくなりますが、明暗を感知する幹細胞は目を細くして目に入る光の量を少なくしてもわかります。

目を細くして見ると、明暗のコントラストが左の方が濃いことがわかります。無意識に、目を細くして、目の中に入ってくる光の量を調節しようとする働きが人間にはあります。明暗を測る細胞の数の方が多くて、他の色味などを感知する細胞の数の方が少ないからです。美大生がデッサントレーニングするときに目を細くして、全体の濃淡のバランスを見ることもあります。

 

では、こちらの2枚ではどちらの彩度が高いかわかりますか。

彩度を測る場合は、目の端で見ようとすると、彩度が高い方が先に入ってきます。デザイナーの中には、微妙な彩度を見極めるときに、目を少しずらしてみて、目の端の方で捉えて違いを見る方もいます。このように、人の物の見方一つとってみても、エキスパートがよく使う身体的な手法があります。

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