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6つのプロトタイプが問い直す「遅さ」の設計:SlowTech #0 公開成果発表レポート

Slow Techとは何か?

東京大学とソニーグループが共同で運営するCreative Futurists Initiative(以下CFI、越境的未来共創社会連携講座)では、アート・デザイン・工学を通じた創造的アプローチを手掛かりに、未来に向けた問題提起と課題解決を行うクリエイティブ・フューチャリストを育成してきました。同講座では、2025年末から2026年年始にかけて「Slow Tech」というテーマのもとに短期集中型のワークショップCreative Futurists Campを実施し、東京大学の学生および研究者、ソニーグループ社員の混成グループ6チームが参加しました。

効率性や​即時性を実現するテクノロジーの弊害が指摘されるなか、スピードや​生産性の​最大化のみを追求するのではなく、​時には立ち止まり、時間を​かけ、他の​生物や​環境とともにある​時間を​意識する​テクノロジーのあり方は考えられないか? という問いから​設定されたのが​「Slow Tech」と​いう​テーマです。

発表された6つのプロトタイプ

イベント会場のホール付近ではグループAからFまでの6チームの発表が展示されました。

グループA:Slow Tech: Reclaiming Our Time

グループAは、まずクロノス時間(過去から未来へ一定速度で進む客観的な時間)と、カイロス時間(後から振り返って意味があったと感じられる主観的な時間)に着目しました。カイロス時間を生むためには、機械的に過ぎていくクロノス時間のなかで「今この瞬間」に主体性を持って向き合うことが重要だと考えて議論を進めました。

現代技術をFast Techと定義すると、現代社会は利便性を追求するために記憶や判断、思考を外部化してシステムに委譲することで、クロノス時間的な効率を最大化してきたといえます。ただそれは人間の主体性を奪う設計にもなり得るので、彼らはそれを再定義したいと考えました。事実としてアテンション・エコノミーのもとでSNSは可処分時間を奪う手段として最適化され、気がづけばユーザーは無為に時間を過ごしてしまいます。さらに送信と受信の効率化が進み、ユーザーは過度に受動的な形で情報を受け取るようになってしまいます。

そのような問題意識のもとグループAは、現代の主流であり効率化に偏重したFast Techとは異なる枝葉として、人間の存在感や物質感を中心に据えた設計のアプリケーションをいくつか提案しました。

そのひとつが、月齢に応じて画面に表示される情報量が変化するアプリケーションです。新月になると表示される情報量は最小となり、満月に近づくにつれて情報量が増えていきます。これは月明かりで本を読んでいた時代や、古代における情報の受信のあり方を参考にしてプロトタイプにしたとのことです。他にも、メールやメッセンジャーの送信ボタンを5秒間長押ししないと送信できないようにすることで、送信直後に内省の時間を取るものや、日頃無意識に行っているスワイプの軌跡を画面上に線として表示するアプリなどが紹介されました。

グループB:Fast Technologyによって失われたものを取り戻そうとする自覚をどう得るか?

グループBの制作は、AIの社会実装やDXによる効率の追求が、人間の試行錯誤に伴う喜びや他者・自然との情緒的な関わりを奪うことで、人間をシステムに従属する存在にしてしまうのではないか?という問いから始まりました。人間がテクノロジーの「主」であるためには、プロセスへの介入と操縦権を取り戻すデザインが必要です。

プロトタイプ1:試行錯誤によるブラックボックスへの物理的介入

AIやDXの象徴であるデータセンターのバックアップテープをモチーフに、テープレコーダーの基本構造を取り出した「中身の見える Slow Technology」を用いて音声の記録を行います。ブラックボックス化されたDXに対して、あえて物理的で不便な介入を行うことで人間が試行錯誤を通じて主導権を取り戻すプロセスを体感します。

Step 1 データ消去
通常であればPCのデータの消去はボタンひとつを押せば実行できますが、ここでは消去用磁石を自分の手でテープに近づけて物理的に磁気を弱めて消去します。プラットフォームに与えられた環境を自らの手でリセットする行為を通して、アルゴリズムが推奨する情報(バイアス)を自らの手で消去し、システムに依存せず、自ら場をつくる必要性を意識します。

Step 2 音声記録
マイクに向かって発声しながら手動で記録ヘッドをテープに押し付けて、左から右に走行させ音を記録します。AI生成においては、思考のプロセスが省略されますが、ここでは情報を残すために複雑な操作が必要です。この一連の動作によって、本来人間が知を獲得する時に感じていた成長の痛みと、ブラックボックスから開放された自己効力感を得ることができます。

Step 3 音声再生
手動で記録ヘッドをテープに押し付けて、左から右に走行させることでスピーカーから再生された自分の声を聴きます。その時点で録音が失敗していた場合はStep2に戻ります。手動で記録・再生する操作は難易度が高く試行錯誤が生じますが、それを体験することで普段触れているデジタル化で圧縮された情報は、ノイズが除去され都合よく加工された「きれいな情報」であることを意識できます。

プロトタイプ2:記録された断片の再構成:24本のカセットテープによる「一日の意味付け」の促進

多くのタスクをこなした多忙な一日であったにもかかわらず、就寝前に「自分は今日、何をやっていたのだろうか」という空虚感や自責の念を抱くような現象が、現代社会には散見されます。こうした問題の核心は、こなした作業量に対して、その一日を自分なりに解釈して納得する「意味付け」のプロセスが欠如していることにあります。これは人間の記憶の性質上、大きな出来事が記憶に定着しやすい一方で、日常の小さな発見や何気ないけれども大切な出来事が忘却されがちであることから生じます。

このプロトタイプでは、忘却されがちな日常の断片を強制的に再提示し、内省を促すシステムを提案します。ユーザーの24時間を1時間ごとに区切り、各時間内のランダムな30秒間の環境音を自動的に記録します。記録された音声は、各時間に対応する24本の物理的なカセットテープに書き込まれ、一日の終わりにランダムな順序で再生されます。

プロトタイプ3:彩度を失うディスプレイ

Fast Techによって失われるものは自分で世界の構造やルールを見出したり制限を設定する能力です。Slow Techの本質は、このような状況から一歩抜け出し、ルールを自らが導き出すことにあります。この能力を積極的に得ようとするのは現状では困難であるため、グループBはそれをナッジするアイデアとして、スマートフォンの活用度に応じてディスプレイの彩度が多様に変化するプロトタイプを提案しました。従来のスマホ機能で選べるのはモノクロにするかカラーにするかの二択でしたが、彩度が段階的に変化するのが特徴です。

グループC:あいだ の きもち – 間、愛、”I”

グループCは親子のコミュニケーションの媒介となるデバイスを提案しました。行動範囲が広がり親から少しずつ離れていく5〜7歳の子どもとその親がコミュニケーションを取ろうとする際に生じるミスコミュニケーションは、子どもの言語習得が未熟であることによる壁障によるものと考えられがちです。しかし子どもの視点から見れば、親の行動や発話の背後にある文脈が理解できないことに原因があるのかもしれません。

その際に例えばデバイスが「お母さんは今日仕事で少し疲れているんだ。少し待っててくれる?」といった平易な言葉で状況の背景を子どもに伝えることで、親子のコミュニケーションが円滑になる助けとなるかもしれません。

グループCが提案するデバイスの機能は、翻訳者やナニーの役割に似ているものの親子の会話を完全に代替・解決することを目的とはしていません。意図的にシステムの介入を弱めることで、親と子ども双方が自らのやり取りを振り返り、両者が相互によりよく理解することで、親子関係を徐々に改善していくことを目指しています。

また、コミュニケーションの媒介として機能するだけでなく、そのやり取りを記録・保存するアーカイブとしても機能します。子どもたちは成長した後に、それらを振り返ることで、親とどのように自分たちとコミュニケーションを取ろうとしていたのかを理解することができます。

このシステムは子ども用のハート型の柔らかいデバイスと、スマートフォンにダウンロード可能な大人用のアプリケーションを使用します。親は子どもとのコミュニケーションにおいて、どのようなときにうまく気持ちが伝わらないか認識し、「子どもにかけるべきと思われる言葉」をテキストで複数記録しておくことができます。

また、親子間会話において、親の発言(内容および声色など)から親の現在の状況を自動で検知します。そして、あらかじめ記録されたメッセージから、その状況にふさわしいものを自動で選択し、子ども用のデバイスから音声を生成・再生して伝えます。同時に、選択されたメッセージを親のデバイスにも通知します。
これらの機能により、子どもは親の言葉を理解し、親も自分が置かれた状況を客観的に把握する助けになると考えました。

グループD:Slow as Fiction — 抵抗の構造としての「遅さ」

グループDの発表は、まず制作背景についての説明から始まりました。効率が何よりも重視される現代の加速社会における時間は、技術・社会・生活のあらゆる領域において圧縮され、情報や流通へのアクセスは即時にされるのが当然のものとなっているため、遅さは淘汰され消え去る存在となりました。そうした状況下において、真正な遅さというものは意図的に設計・構築されるべきフィクションとして再定義されなければなりません。即時的なデータのアップロードや共有に対し、意味づけがされたデータの劣化などの変容や著作権などの介入は時間の経過を必要とします。それらが作者の意図や創造性の反映を可能とするため作品の真正性と同義に扱うことができると彼らは考えました。

発表時に公開されたデモ「Adversarial Archive(対抗性アーカイブ)」は、そうした考えを具現化したものであり、下記の0から3までのフェーズを通して、技術的な「遅さ」が介入したときに何が残るか、あるいは失われるかを観察するための装置として制作されました。

Phase 0 : The Victim(祭品)

入力される前の画像。ネットワークに投入される前の原画は複製以前の唯一無二のアウラを象徴しています。

Phase 1 : The Death Spiral(死の螺旋)

入力された画像がSNS等での再圧縮やノイズ注入により劣化していくシミュレーション。SNS上の「いいね」やリポスト(シェア)といった人間のアテンションが残す痕跡とアルゴリズムによる表示頻度の履歴が同時に蓄積されることで、時間の経過とともに画像は虫食い状態となり、データの死骸へと変貌していきます。

Phase 2 : The Slow Filter(緩慢な濾過)

劣化した1,000枚の画像に対して中央値積算を適用します。全フレームで最も一貫して現れる値のみを統計的に抽出することでノイズを排除し、作品の本質部分のみを浮き彫りにします。

Phase 3 : The Revelation(残像の顕現)

境界線や階調の構造を際立たせるコントラスト処理をします。それにより消費可能な情報である「肉体」が腐敗し去った後に残る画像の存在論的な骨格が顕現します。

重要なのは、これらのプロセスを経た画像の劣化を必ずしもネガティブなものとして提案しているのではないという点です。グループDは、画像の入力から劣化のプロセスを通し、時間の経過とともに生じる変化によって、物事の本質的な骨格が最後に顕在化するはずであるということを表現しようとしました。

グループE:時間の身体性を紐解く

グループEは主観的に感じる時間の長短や速度に着目しながら制作した体験型のプロトタイプを発表しました。

時間の身体性というテーマは主観的な時間の速度に関わる2つの異なるエピソードから生じました。あるメンバーは「前期と後期とで授業が変わり、長期休みでのさまざまな経験もふくめて1年のなかでの生活の変化が多い大学生時代は、その1年間が長く感じた」と語ります。一方で、もう一人のメンバーは「子どもが生まれ、日に日に成長する子どもを育てながら生活をしていると1年があっという間に過ぎていくと感じた」と語りました。
つまり、両者ともに変化の多い生活をしているにもかかわらず、感じている主観的な時間の速度は真逆でした。その違いが何によって生じたのか?という疑問に彼らは着目しました。

時間の身体性の違いを限られた時間で感じるために彼らが着目したのが異なる質感や由来を持つ物質でした。参加者は紙コップから紙コップ、手から手へと物質を移し替えたり箱に詰めていく作業を行い主観的な時間と客観的に計測した時間を比較します。
固い物質と柔らかい物質では時間の身体性は異なるのか?ひんやりとしたスライムとキネティックサンドとではどのような違いがあるのか?あるいは、自然由来の素材と、人工的な素材で時間の身体性は異なるのか?という具合に、様々な素材に触れた時の感覚の違いによって感じる時間の経過の変化を考察します。

参加型のデモとは別にアイデアとして提案されたのが、日々の時間の速度をどう感じたのかを記録して振り返るためのアプリです。参加者は1日の終わりにその日の出来事やその時に感じた感情、1日の時間の経過が速いと感じたか、あるいは遅いと感じたかといった時間感覚を記録します。そして、1週間、1か月、1年といった節目ごとに記録を振り返ります。そのようにして自分の時間の身体性を知ることが、日々の行動や生き方を変える働きかけになるかもしれないと結びました。

グループF:世代間を繋ぐためのテクノロジーとは何か?

グループFは、人々の人生を3世代に渡って記憶していきながらも、やがてはそれらの記憶を徐々に忘却し、最終的には自身も消滅していくプロセッサーを考案しました。

このアイデアは、人や家族といった小集団が人生のなかで体験する出来事にまつわる思い出やそこから得た知恵は、劣化することなく保存される情報やデータでは必ずしもないということ。そして、それらは時間の経過のなかで人から人へと語り継がれ、その都度再解釈され続けることで初めて意味を持ち、世代を超えて受け継がれていくプロセスそのものに意味があるのではないか?という問いから始まりました。

彼らはこの問いへの回答を模索する試みとして、完全にオフラインで動作し、家族3世代にわたり約100年間続くことを想定したスペキュラティブな機械学習システムとプロセッサCMP-100:Centennial Memory Processor(以下、CMP-100) を構想しました。

このシステムは自身のセンサーを通じて直接経験した出来事のみを記憶します。写真や日記、あるいは後から語られた物語などの外部記録は参照されません。そこでは、記憶は収集される情報ではなく時間のなかで立ち上がる経験として扱われます。また、インターネットへの接続は想定されておらず、すべての処理とストレージはローカルで完結しており、書き換えられることもありません。

そして、ハードウェアは時間とともに緩やかに劣化するよう設計され、それにより家族と同じ時間を生き、ともに老いていく存在となることができます。記録された記憶は、何かしらの入力によって即時に呼び出されるものではなく、特定の時間や周期、あるいは関係性のなかでのみ浮かび上がります。

このようにして構想されたシステムにおいて、記憶と忘却は長い時間を生き延びる同じプロセスの一部となります。何を保持し、何を手放し、何を曖昧なまま次の世代へ委ねるのかという判断そのものが、CMP-100:Centennial Memory Processorの設計における中心的なコンセプトなのです。

彼らが提案したCMP-100 は、3世代が生活する3世帯住宅に設置され、家族の身体行為が家屋や家具に与える履歴を記憶することを想定しています。従来のデバイスのような記録や再生を目的とせず、入力および出力は下記のような暮らしのなかで発生する行為に限定されます。

入力:家屋内で発生する身体行為による力の履歴

・歩行、立ち止まること、座ること
・扉や引き出し、家具などの操作
・移動や接触
これらは物理量として測定され、個人は識別されず、意味付けも行われません。

出力:日常物体が返す応答特性の偏り

・抵抗(扉の重さ、引き出しの初動など)
・停止・復帰する位置のズレ
・反応の時間遅れ
入力の履歴に応じて、物体の物理的応答が微細に変調され、触覚として体験可能です。

具体的な入出力の例の一つとして、家庭用ロボットにおける世代感をつなぐユーザー体験が挙げられました。

提供したいUX

30年前に祖母がよく口ずさんでいた演歌をロボットが記憶するが、その記憶は時間の経過とともに緩慢な忘却を経ながら変容する。30年前のその出来事を想起させる条件(日差しや時間帯など)がいくつか揃った際に、前触れ無くロボットが曖昧な記憶に基づいて歌を歌いだす。

入力デバイス

マイク/イメージセンサ/人感センサ/Lider/照度センサ/匂いセンサ

出力デバイス

スピーカー/アクチュエーター

なぜいま、Creative Futurists Camp:SlowTech #0なのか?

内覧会終了後に福武ホールでトークイベントが行われました。イントロダクションでは筧康明教授がCreative Futurists Initiative(CFI)および今回Slow TechをテーマにCreative Futurists Campを開催した背景ついて解説しました。

筧 康明:これから東京大学とソニーが運営している越境的未来共創社会連携講座、Creative Futurists Initiative(CFI)の「Slow Tech」の成果発表を行います。まずはこの社会連携講座の概要を簡単にお話しして、その後にインスピレーショントークと、今回のSlow Techの成果を受けたディスカッションへと進みます。

CFIは、東京大学とソニーの連携のもとで運営してきた講座で、立ち上がってから2年ほどが経過しています。私たちはここで「批評と創造をつないで未来を共創する」ことを重視して活動してきました。これから先の複雑な社会を見ていくとき、従来の機能をただアップデートするだけでは足りません。何をなぜつくらなければならないのかを問い直し、批評的な態度を自分たちの内面に持ちながら、創造的であり続けることに挑戦する必要があります。そうしたクリティカルマインドと、クリエイティブなアプローチを実際に動かすことのできる手段を獲得することを目標にしています。

また「共創」という点も非常に重要だと考えています。複数の、あるいは絡まり合ったディシプリンを持つ人たちがともに問題へと向き合い、考え、動いていくことが今後ますます必要となります。東京大学の情報学環も文理融合型の大学院として同様の意図を持って設立されましたが、それにとどまらず、いわゆる学際2.0、あるいは3.0にチャレンジしていくことが求められていると考えています。

私たちはそのなかで、具体的なアクションを取りながら考えていくことを重視しています。たとえば越境的な実践をされている方々をお招きして対話の時間をつくったり、研究実践として過去2年にわたりテクノロジーとバイアスの関係をグループで考察し、最終的にはアート作品を制作して展示する「TECH BIAS」および「TECH BIAS 2」というプロジェクトに取り組んできました。

潜在的なテクノロジー×バイアスの自覚から次の探求へのバトンをつなぐ|『TECH BIAS -テクノロジーはバイアスを解決できるのか?』トークイベント:第1部レポート

テクノロジーとバイアスを見つめ直し、洗い直し、作り直していく|『TECH BIAS 2―分類されない「わたし」』展レポート

人文知とアート、工学のコラボレーションでバイアスを可視化する4つの挑戦:『TECH BIAS 2 ―分類されない「わたし」』展 プレゼンテーションレポート

そして今回、研究実践の新しいテーマとして設定したのが「Slow Tech」です。現代はテクノロジーが高度になっていくことで、利便性の向上など多くの恩恵を受けています。一方で、膨大な電力を消費するデータセンターのように、テクノロジーの発展が環境に与える負荷もふくめた様々な弊害や限界も明らかになってきました。さらに、人間の生活リズムを超えた速度でテクノロジーが入り込むことは、ウェルビーイングの観点からも課題があると言えます。このような背景も踏まえて、現代のテクノロジーは本当に私たちの生活環境を良くしているのかを問う必要があるのではないか、という問題意識から「Slow」という切り口を設定しました。

ただ、何と比べてSlowなのか? そもそもSlowとは何か?ということにつきましては、多様な解釈が可能です。ここで一つの答えを出すというよりは、新たな問いの喚起を促す程良くあいまいなテーマとしてSlow Techを掲げました。そして、参加された多様な方々とともに議論をし、アクションを取りながらその意味を考えていきたいと思います。

今回の取り組みは「Creative Futurists Camp」と名付けました。これまでのプロジェクトは半年から10カ月ほどかけて取り組んできましたが、今回は“キャンプ”として、期間をある程度圧縮しました。まずはこのテーマでどのようなアプローチが可能か、どんな課題が立ち上がってくるのかを探るためです。昨年12月に2回集まり、年末年始にかけてソニーと東大、そしてさまざまな方々が混成チームとして動いた結果、Slow Techに対する問いかけや、暫定的な答えのようなものを持ち寄ることができました。

今日はその成果をホール入り口付近に展示し、皆様にご覧いただきました。私としては、Slow Techそのものだけでなく、その向こう側にあるさらに大きな問題について考える機会にできればと思います。0が1となり、それを礎に2へとなっていくようにこの取り組みを継続していきたいと考えておりますので、そのための仲間づくりをしたいと考えております。どうぞよろしくお願いします。

ともに生きるための技術のありかたを模索する

続いて、インスピレーション・レクチャーのゲストスピーカーとして、Takramの緒方壽人氏が登壇しました。

緒方壽人(以下、緒方):よろしくお願いいたします。僕は東大工学部の機械工学の出身で、その後IAMAS(情報科学芸術大学院大学)でプロダクトデザインを学んだ後に、現在はTakramでデザインエンジニアをしています。

2011年に、『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』という本を書きました。ここに書いた内容は、人間とテクノロジーがともに生きる社会を実現させるために、人の主体性や創造性を引き出す手段として技術を捉えるというものなので、本日のテーマ「SLOW TECH」に通じるのではないかと思います。

コンヴィヴィアル(Convivial)という言葉は、ともに生きるという意味です。哲学者イヴァン・イリイチが1970年代に書いた著書『コンヴィヴィアリティのための道具』を参照しながら書きました。

イリイチは著書で「二つの分水嶺」というキーワードを挙げています。全ての道具には人間の能力を高める一つ目の分水嶺と、逆に人間の能力を奪ってしまうもう一つの分水嶺があるので、その間にとどまる必要があるということです。そのちょうどいい幅にどう収めていくかがひとつのキーワードになると思います。

『コンヴィヴィアリティのための道具』には、その道具がコンヴィヴィアリティであるかを判断する6つの問いが書かれています。これらは50年前の問いですが、まさにいま考えなければならない問いでもあると思います。

僕が書いた『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』では、先ほどお話した二つの分水嶺の間にいかにして留まるかという僕なりの提案をしました。

自分でつくれたりつくり変えられる道具のあり方が大事ではないかというお話もしました。また、ダークパターンやアテンション・エコノミーのように、企業の利潤を追求するためにただ徒に長時間ユーザーに使い続けさせる道具が世の中にあふれているなか、道具を手放せるところまで設計することができるのではないかとも語りました。この本を書いたのは2021年なのでChatGPTが世の中に出てくる前年というタイミングでしたが、既にテクノロジーが自律的に動いていく時代に向かっているなかで、それらのテクノロジーをいかにして人間が自律的に使っていけるかを考えていけるか、ということを書いています。もしご興味があれば、ぜひ読んでいただけるとうれしいです。

昨今のテクノロジーが強さや速度を求める左側のような価値観で進化していくなかで、あえてそれらを反転させたものを追求していくことに価値が見い出せるのではないかと思います。

さて、今回いただいたテーマがSlow Techに関連する話題提供ということで、これからいくつか事例をご紹介できればと思います。

こちらは、たんぽぽの家という福祉施設の方たちと実施した「Art for Well Being」というプロジェクトです。筧さんも参加されていましたね。表現やアートをどのようにケアに活用できるか、あるいは逆にそうした取り組みを通してテクノロジーやアートの新しい可能性を見い出せるかを考察しようという主旨でした。

そのひとつが即興のダンスパフォーマンスをされている方々とともに取り組んだ「WAVE: なみのダンスとMR」です。ヘッドマウントディスプレイをかけると水面が見えて、その水面に触れると波が起きたり音が鳴ります。そのようにして音楽を仮想空間で奏でられる立体装置になっています。このなかでどのように新しい表現や動きが生まれてくるかを実験しました。入所している皆さんが表現者として能動的に関与できる舞台装置をつくって、そこに一緒に参加をしながら新しい表現をするという試みでした。

もうひとつ最近取り組んだ事例をご紹介します。Takramは2025年日本国際博覧会のシグネチャーパビリオンのひとつ、福岡伸一さんがプロデュースされた「いのち動的平衡館」の展示を担当し、直径10メートルくらいの円形の立体LEDシアターをつくりました。32万球のLEDが立体的に自律した形で中央に置かれていて、そのなかで生命史を見せる展示になっています。

僕たちは消滅と再生を繰り返し形を変えながら命がつながっていくという福岡氏のコンセプトを表現するためにふさわしいメディアは、現在主流になっている高精細なディスプレイではないと考えました。むしろ粗くまばらで、色もモノクロで、できるだけ弱く儚い光がランダムに重なり合っている形で表現するべきだと。

先ほど、コンヴィヴィアルな技術の条件について「つくることができる」というお話をしましたが、そのプロジェクトにおいても既存の装置を使うのではなく、自分たちでLED基盤の設計から始めて、自律する構造をつくりました。世の中にないハードウェアをつくった以上は世の中にないソフトウェアもつくらなければならないので、この立体LEDにビジュアルを出力するための仕組みを、ありとあらゆるプラットフォームのシミュレーターを活用して事前に確認しながら進めました。

最後にご紹介する事例はTAKIVIVAのAuthor Residenceです。北軽井沢にあるTAKIVIVAという宿泊や合宿ができるスペースで、著者や編集者など何かしらの形で本に関わる人が集まってトークイベントをします。通常のトークイベントと異なるのは、登壇者が1週間そこのロッジに泊まるという点です。そこでゆっくりと時間を過ごし、そのなかにトークイベントが組み込まれていく形になっているんですね。会場に行って登壇してすぐに帰ることなく、ゆったりとした時間の使い方をするだけで、その場の生まれるものが変わると実感します。僕からの発表はそんな感じです。この後、他の皆様とディスカッションをしていければと思います。

コンヴィヴィアルの受け止められ方はどのように変化したか?

緒方氏のレクチャー終了後、筧 康明教授とSlow Tech Campを担当したCFI特任研究員 久納鏡子氏、ソニーグループ株式会社より細谷宏昌氏が加わりディスカッションが行われました。

久納:ありがとうございました。ここまでで紹介いただいた事例は、そのままSlow Techの話につながっていきそうだと感じました。最後に言及されたTAKIVIVAのAuthor Residenceは、背景に私たちの今の社会が「テクノロジーに振り回されている」という前提があるのだろうと思います。ではここでもう一人、登壇者をご紹介します。ソニーの細谷宏昌さんです。

細谷:ソニーグループ株式会社の細谷です。よろしくお願いします。今回は、最初のリサーチから講座の運営まで関わってきました。

:CFIではこれまでTECH BIASを実施してきて、新しいラインとしてSlow Techを実践したいと思っていました。ただ、TECH BIASはソニー社内でも共鳴する方が想像しやすい一方、Slow Techは誰が反応するか読みにくいという議論がありました。それに関連して緒方さんに伺いたいと思いますが『コンヴィヴィアル・テクノロジー』を刊行した時の世の中の反応はいかがでしたか?

緒方:2021年時点だと「それはそうですよね」という反応が多かったと記憶しています。「ちょうどいいのがいいよね」と頷く一方で、「具体的にどうするの?」とか「これはコンヴィヴィアルですか?」と聞かれました。「ここからここまでがコンヴィヴィアルです」と線引きができるような話でもないので、実践は難しいという感触を持ちました。そこから4〜5年が経過し、万博のような大規模イベントでもSlowあるいはコンヴィヴィアルな要素を入れる余地があるかを探りながら関わってきて、少しずつ隙間や可能性や具体例を見せられるようになってきたと思います。

久納:コロナ禍真っ只中の頃から4〜5年経って世の中の状況は大きく変わったと思います。人々の理解に変化はあると感じますか?

緒方:空気感としては理解されるようになってきた気はします。都心を離れて地方に移住する人が増えたり、「このままの生き方や社会のあり方でいいわけではない」ということが共通理解になってきた部分もあると思います。

細谷:「ちょうど良い」は言い換えると最適化の話で、ここ数年で「その最適化は誰のためだったのか」という疑問が大きくなってきた気がします。

緒方:SNSやAIの登場も大きいですね。テクノ・リバタリアン的な価値観で進めるのはまずい、という認識は広がっていると思います。

細谷:そうした課題感があるからこそ今回の問いも出てきたと思います。ソニー社内でも「誰が関心を持つのだろう」というところは課題でしたが、実際に募集をしてみて、興味を持つ人が集まってくれたのはうれしいです。全員で考える話ではないとしても、組織内にこういうことを考える人がいること自体が価値になればと思います。

緒方:僕もソニーさんも研究者というより、日々ビジネスのためのデザインをしているなかで、宣言だけで終わらせずにどう実践するかを試行錯誤してきました。資本主義的なロジックは強力ではありますが、どういうバランスなら成り立つのかを丁寧に考えられるといいと思います。

久納:緒方さん以外の3人は、Slow Techを新しいプロジェクトとして立ち上げる際に、どう進めるかをコアに議論してきたメンバーです。最初に見えてきたのは、いま必要で、これから探ると面白いテーマであること。一方で、トピックがかなり広いということでした。そこでキャンプ参加のソニー/東大メンバーと一緒に、どんな広がりがあり、どこに問いが立つのか、さらにプロトタイピングまで行くなら何が面白いかを考えたかった

:まずは態度であり問いかけとしてオルタナティブを探ることが前提です。そのうえでアクショナブルにできるかが課題になりそうですね。Slowというテーマを置くことで現在のテクノロジーのあり方を客体化し、別の形を一度想定してみることはできそうです。ただ、そこで終わってしまうとダメなのでより実践的な取り組みまで考えたいですね。

6グループのプロトタイプからSlow Techの可能性を考える

:ではここからは6グループの発表にコメントをしていきながら議論を進めましょう。

細谷:最初のグループAはクロノス時間とカイロス時間に触れていたチームですね。

久納:時間を使っていくうえでの主体感を人間が取り戻すきっかけについて気づかせる主題でした。

緒方:とりわけ月齢の変遷に応じて読める情報量が変わるのがロマンチックで素敵でした。行動の変容を促すツールにこうしたストーリーが加わると「自分もやってみよう」と思えます。

久納:人間のリズムではなく、自然や環境のリズムを思い出させるから素敵に見えるのかもしれませんね。

細谷:人類の歴史を俯瞰すると、現代のように人間が機械的な時計に従って生きる歴史は決して長いものではないのでそのように見えるのかもしれません。それから、送信と受信の情報のレバレッジを意識させるプロトタイプもありましたね。

緒方:送信ボタンの長押しはチューニングすれば実用的かもしれません。送信までの間に読み返して、誤字や言いすぎがないかを振り返る。自分の文を読み切ると送信できるみたいな設計もあり得ます。

:Slow Techは、便利さに対抗するために敢えて不便を取り込む態度ですが、単なるオルタナティブのための不便ではなく、ポジティブな文脈を探ることが重要です。審美性や環境との関わり、身体性などのアプローチは正しいと思いますし、もう少し先が見たいと思いました。

細谷:偏りを見せるブラウザやレポートも、スクリーンタイムの先としてあり得ます。誰がその基準を決めるのかは重い課題ですが、そうしたことに気づかせる未来はあり得ると思えるプロトタイプでした。

久納:次はグループBですが、こちらのグループは、カセットテープのプロトタイプが面白かったですね。録音や消去の物理を思い出し、ブラックボックスを理解する感覚がありました。

:メカニズムを自分のものにするアプローチは、ブラックボックスを理解していくうえで有効だと思います。

緒方:スマホの解像度を下げるツールも、単純なカラーのオンオフではなくグラデーションがあるのが面白いですし情報摂取密度の丁寧なコントロールへとつながると思いました。

久納:次はグループCです。こちらは就学前後の年頃の子どもと親のコミュニケーションをAIを間に入れて支えるツールでした。

緒方:伝えきれないものを補助するデバイスという感じでしたね。

:間にテクノロジーが入ることで系が回るというのは既にあるテクニックですが、AIが入ることで「つくる間」がどうアップデートされるか、またそのデバイスに頼ることからやがては卒業できるのかが論点でした。最終的に直接コミュニケーションすることへと促すのか、間に入り続けて守るのか、どちらの未来もあり得る、という話でした。

久納:反抗期のティーンと親にも応用できそうだと思いました。

緒方:家族は関係が近すぎるがゆえに、ほどけない感情のすれ違いが起きがちです。AIが双方を理解し、子どもの言語化できない意志や気持ちを支えるのはあり得そうです。ただ、ちゃんと卒業できる状態にしていけるかは注意が必要だと思います。

細谷:衝突がない状態を最初からつくってよいのか、という点もあります。人と人の関係は、わかり合えない部分も前提に関係を育む大切さもあるでしょうから。そこで でも、グループCは「全部理解する」ではなく「ゆっくり近づく」ことを重視していたのが印象的でした。

:将来的には、近づくためだけでなく、適切に距離を取るためのテクノロジーもデザインスペースとしてありそうですね。

久納:使うことで、その人たちだけのコミュニケーションの仕方を獲得できるなら、手放せるものになるのかもしれません。

久納:次はグループDです。難解ではありましたが、繰り返し引用・コピーされる情報が劣化しながら残っていく最後の形を見せる作品でした。

:技術自体は高解像度化するのに、共有される過程で解像度が変遷する。そのギャップを起点にデザインしていましたね。削ぎ落とされることを前提にオーディエンスみんなで削ぎ落とすプロセス自体をつくる挑戦だったと思います。

細谷:「劣化はコアの抽出」というお話が印象的でした。減らして軽くすることで残ったものは本質なのか。逆に捨てられた断片に注目すると、これまで届かなかったものが届くかもしれません。劣化というプロセスを踏みながら情報を抽出するという問題意識が面白いと思いました。

緒方:生命はエントロピー増大に抗う流れのなかに本質がある、という視点もあるので、「劣化して残るものが本質」と言うと化石や骨が本質なのか?という問いも生まれそうです。そういう問いを誘発する作品でした。

細谷:グループEは体感時間と記録の違いでしたね。

緒方:身体性によって、同じ時間でも触るマテリアルで感覚が変わる、という話でした。プリミティブだけど、所作があることでディスカッションが生まれそうです。

細谷:データが集まった後に、積極的にディスカッションしたくなるものだったと思います。

:唯一の心理的時間を探すというより、自分の内側にある複数の時間性を見つけ、それがフレキシブルに変わることを体感できますから、そこも狙いだったのではと思いました。

細谷:最後のグループFは世代間をつなぐプロセッサーでしたね。

緒方:世代間という時間軸の長さに着目しているのが面白い発表でした。ストレージにアーカイブするのではなく、脳のように反応が変わることで記憶らしきものが残るというものでした。その発想で次世代へ残すのが興味深いです。

細谷:人の寿命より長く生きるシステムが引き継がれた後にどんな体験をもたらすか、多くの示唆がありました。ロボットが曖昧な記憶から歌を歌うのは、家族が知らない情報を機械だけが知る状況をつくるかもしれません。ロングタームでどんなサービスやUXが生まれるのか、多くの問いが生まれるプロトタイプでした。

久納:残す技術が極限まで進むほど、忘れる技術や残すデータと残さないデータの精査が重要になります。録音に入り込んだ鼻歌はノイズとして捨てられがちですが、実は大事な記憶かもしれません。

細谷:直接の録音ではなく、ロボットが歌うのがいいですね。完全な収録ではない感じが。

久納:残したいのはデータそのものだけでなく、そのデータを取得した際の周辺の文化や環境の情報もふくみますからね。影響を受けたロボットが歌うという事実が残るから良いのだと思います。

:この話はメディアアートのアーカイブともつながります。デジタル作品はハードウェア依存で質感が変わりますから。機材ごと動かすだけでなく、驚きや美しさをどう保つかという文脈がアーカイブを考えるうえでの課題としてあります。長く受け継がれるテクノロジーの問題として一般化される部分もあると思います。

緒方:いつ何を残し、いつ思い出すかも重要です。誕生日や正月のようなイベントがきっかけになって、去年のことを思い出すこともありますが、思い出すトリガーがどう設計されるかは気になります。

細谷:こうした取り組みは今後もぜひ続けていきたいですね。以上、6グループの発表への講評でした。

ディスカッションの終盤では、プロジェクトの参加者および関係者からのコメントを中心に議論を深めました。例えば、目の前の課題に対して技術を最適化したものの、長期的に見ると望ましくない結果をもたらす場合もあること、企業として収益を得ていくために日々の業務の中ではFast Techを重視せざるを得ないものの自身の価値観と照らし合わせるとジレンマを覚えるという意見もありました。それと同時に、今回参加したことで、審美眼を持ちつつFastとSlowの中間地点を探っていく重要性を再確認できたというコメントもありました。

最後に、CFIの設立から参画し、2025年9月までの25年間ソニーで様々な技術開発やプロジェクトに携わってきた客員研究員 戸村朝子氏からのコメントを引用することで、このレポートを締めくくりたいと思います。

「参加された皆さんからの率直なご意見はとても心に響くものでした。資本主義の仕組みと市場に合わせて、自分たちの日々の仕事のアウトプットをいかに最適化していくかを考えることが企業の持っている宿命である以上、皆さんがおっしゃるジレンマはまさに在職中に私自身も幾度となく直面したことだったからです。

その中で、こんなにも多くの皆さんがこうして集まっているのは、何かしらの違和感や問題意識を持たれていたからだと思います。学生の皆さんはこの現状を飲み込んで消化したうえで研究に生かしてほしいと思いますし、ソニーから来ている皆さんは、目の前の利益に向けて動かなければならないので大変だと思いますけども、そうした難しい課題に対峙できる場を東京大学という場を借りて取り組めることが価値だと思って、次につないでいけたら嬉しいと思いました。ありがとうございます。」

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